前回のつづきです。
講演会後にいただいた感想&質問への返信、
よくよく考えて以下のようになりました。
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あなたとお子さんが言われた助言は、一般的によく言われることで、
私もかつてそういう助言をしていたことがあります。
今も、ケースによってはそう言うこともありますが、
頻度は少なくなってきました。
そして、「仕事」という言い方はもうしないようにしています。
いろいろ考えましたが、子どもにとってフェアでない表現に思えるからです。
大人にとって「仕事」は、少なくとも選択肢があり、
そこに賃金が発生しているのに、子どもにはそれがないからです。
「仕事」という言い方は単に比喩であり、
人間として日々健やかに生活するためにやらなければいけないこと、
という意味で伝えているのはわかりますが、
それを伝える言葉としては矮小だとも思います。
そしてそういう大きな意味で「仕事」というのなら、
なおさらそれを「学校に通うこと」と言い切るのはもう無理があると思います。
そういう意味で子どもに「仕事」があるとすれば、
「日々いろんなことから学んで成長すること」ですよね。
そのために利用するツールが、既存の学校である必要はないかもしれない、
という講演をさせていただいたつもりです。
「行きたくない」という気持ちを受容して休む方向にするのか、
あくまで登校を習慣づける方向に支援するのか、というのは、
定型発達かどうかというよりも、その子のその時点での
学校負担感の大きさによって変える必要があると思います。
そして、特性がある子のほうが、
ギリギリまで我慢した挙げ句に「行きたくない」と言うよりも、
負担感が軽い段階でも「行きたくない」ということが比較的多いので、
習慣付けの手助けで登校が再開できることも多いのだと思います。
そして、少しの手助けで登校が再開できるのであれば、
やはり学校に通った方が現状はメリットが大きいかもしれません。
あなたのお子さんが、勉強する意味や将来やりたいことが
ぼんやりとでも見えてきたのなら、
既存の学校システムを活用して成長できているということではないでしょうか。
それから、特性が強い子はどうしても視野が狭いので、
一部分だけを強く感じとって「嫌だ」
と言っている可能性があるので鵜呑みにしない、ということもありますよね。
結局は、どこまでパターナリズムで補うのか、という話になってくると思います。
いずれにしても、たったひとりで縦横無尽に生きるわけではないので、
社会に許容される枠組みのなかで生きることにはなる。
その枠組みが、できればいくつか用意されていて
ある程度柔軟であるということが大切で、
それは定型発達でも特性があっても同じだと思います。
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上記のような返信をしながら、
私も改めていろいろ考えました。
支援の方向性とか立場のちがいというよりは、
日本社会の既存の枠組みをどう考えるか・・
という問題をはらんでいるので、
現実的な支援策や方法論を探している人からしたら
モヤモヤするよな~とか。
そして私自身もモヤモヤしながら、
現実的な方向性と新しい価値観をすり合わせながら
ドタバタやってるよな~とか。
そんなモヤモヤもドタバタも喚起するかもしれない講演ですが、
呼ばれればどこでも行きますので、ご依頼お待ちしています(*^_^*)
→ブログ 相談、講演について にリンク
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