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24年3月10日に大船のカフェ楽庵で

語りの会を開催しました。

近くに木曽義高の碑が残されている場所。

大姫の🪦と言われるところもあります。

招かれたかのような…

不思議な会になりました‼️


3/10大船楽庵でよっくる一座朗読ライブ



Amazonのリンクはこちら。 



 

谷よっくる著 『まほろば物語 鎌倉編』を書籍出版しています。

 

(冒頭部分の抜粋 始まり)

 
まほろばビーチは、いつも人でごったがえしていた。 
海の色は青く、透き通っていて、小魚の泳ぐ姿が上から透けて見えた。 
砂浜は白く、よく見れば星型の砂が敷き詰められていて、歩くと、さらさらと
音を奏でるのだった。 
少年は、毎年、夏になると、まほろばビーチの近くの別荘にやってきた。 
お母さんは放任主義らしく、昼間、少年は一人でビーチにやって来て、夕暮れ
まで浜辺で遊んで帰るのが日課になっていた。 
少年は、お昼をいつも海の家で食べていた。 
ある時、ある海の家に立ち寄ると、自分と同じくらいの年の少女がにこやかに
給仕しているのが目に入った。 
少女は、夏の間、親がまほろばビーチの海の家で働くのを手伝いに、浜辺に来て
いるのだった。 
少年は、少女の笑顔に魅せられた。 
そして、その海の家に毎日、通うようになった。 
少女も、自分と同じくらいの年の少年が来るとうれしいらしく、少しヒマな時は
少年のそばに来て、世間話を楽しそうにするのだった。 
しゃべるのは、もっぱら少女の方で、少年はだまって聞いているだけだったが、少年
は聞き上手だったので、時間さえあれば、少女の話は際限なく続きそうだった。 
新しいお客が来て、少女が仕方なく仕事に戻ると、少年も少女の長話から解放
されて、浜辺に戻るのだった。 


(冒頭部分の抜粋 終わり)


 このお話(まほろば物語 鎌倉編)は、二O一六年に執筆した作品です。
ひと夏の少年と少女の冒険譚(たん)となっていますが、書き進めるうちに鎌倉時代初期の歴史物語に話が及んでしまいました。
折しも、NHK大河ドラマでは「鎌倉殿の十三人」を放映しており、
「出版するなら今でしょう」と思っていたところ、さがわはるなさんに絵を描いて頂き、無事、出版にこぎ着けることができました。
本当に出版というのは時が満ちないとなかなか実現しないものです。
大姫と義高に限らず、戦争というのは多くの不幸を生み出すものですが、
一人ひとりの魂は強くできており、肉体の死を迎えたとしても、
『魂としては永遠の生を生かされてるので、だいじょうぶ。』
それがこの作品で伝えたいことかなと思います。
なお、同時代を生きた巴御前と木曽義仲にまつわる短編「巴の愛」も掲載させて頂きました。

この物語が亡くなりし御霊(みたま)たちを安んじられますように。


この物語を是非、ご購読くださいませ。

 

NHKアニメ 『アン・シャーリー』。

日本アニメーションの名作アニメ『赤毛のアン』のその先の物語までアニメ化されている。

ときどき、神回と言える回があるので、紹介していこう。


第 話 天国へ続く道を今、ここから歩いていくわ




親友ルビーの死に向き合うアン。

深いテーマの話だった。

人生、長く生きてると、友達や年下の知人の死を見送ることが増えてくる。

そんなとき、死んだ人は不幸だったというのではなく、『精一杯の人生を生きたね、ありがとう』

と言いたいな。




ほんまこれ。

みんな、死んだら天国に帰れる切符を持ってるんだけど、この世の人生で間違えたりすると、死んでから反省しなきゃいけなくなるのよね。

生きてるうちから、天国に帰れるよう利他の行いをすれば、その道は天国にまっすぐ伸びてるよ。





私たちは今こそ真剣に地球文明の未来について考えなければならない。
宇宙には原因結果の法則というものがある。
これは人の感情など入り込む余地のないものだ。
ある意味では冷徹な側面がある。
私たちは今までに何度も何度も警告を受けてきた。
それは地震だったり、津波だったり、異常気象だったりするのだが、その原因を地球温暖化やCO2のせいにして、人類の所業とは無関係と思い込んできた。

人災による数々の不幸が私たちの社会を暗くしていることに、誰もが気づいているだろう。
だが、それと地球の悲鳴は無関係なものと思い込んでいる。

だが、そうではない。そうではないのだ。

地球は生きている。
地球には意識がある。大きな大きな愛の意識が。
それは人間に比べれば神と言ってもいいだろう。

その意識が愛と不調和な人類の文明に対して

否!

と叫んでいるのだ。

地球の意識の宿るのは、地球という惑星だ。
とてもとても大きな身体だ。

私たちは地球をなにか土塊のように思っているのではないか。
そうではない。そうではないのだ。

人間というちっぽけな存在にはわからない、
大きな大きな生命体なのだ。

カムチャッカの地震も、人類の警告としてとらえるべきだろう。

人類は人類のことにしか関心を持たない。
自分たちがよかれと思い、自分たちを苦しめる文明を作ってしまった。

その清算の刻限が迫ってきているのだ。

では、ちっぽけな私たちは、座して死を待つしかないのか?

そんなことはない。人類の集合体には、大きなポテンシャルが宿っている。
なにしろ、地球に70億からの人間たちがひしめき合っているのだ。
これが一致団結したら、不可能を可能にすることは造作もないだろう。

私はそのアクションが祈りだと思っている。

地球に生かされていない人はいない。
みなが地球からの恩恵を享受して、毎日、毎瞬を過ごしている。
そのことに対する感謝を忘れて。

そのことに気づくことから、すべては変わるだろう。
地球に与えられていることに感謝して、
地球の愛の波動に同調する生き方をしよう。

そう、今、この瞬間から。