せっかくだから、ついでに下絵も貼っとく。




響け!ユーフォニアム ファンアート

©️響け!製作委員会2024





万紗子の紗は、しなやかに強く育ってほしいという願いを込めて、名付けられた。


かぼちゃパンツのまさこ、赤い大きなリボン🎀をつけて、喜んでいる。以後は赤いリボンがトレードマークになった。


小学生の万紗子は、なんにでも一生懸命にチャレンジする子だった。

吹奏楽コンサートで音楽が好きになり、いろいろ調べ始め、のちに音楽博士の異名をとることになる。

音楽のことなら、たいていのことには答えられるようになり、クラスメートから尊敬された。


中学生の万紗子は、吹部にも興味はあったが、体力をつけようと思い、運動部に入った。軟式テニス部でボールを追いかける日々は楽しかったが、音楽への情熱が失われたわけではなかった。


北宇治高校に入学した万紗子。

入学式で吹部の演奏を聴き、

このレベルなら、素人の自分が入っても、ついていけるかも。

と思い、見学に行く。

特にパーカッションが楽しそうかな、と思い、話を聞きにいくと、同学年の子が二人いた。

ひとりは中学でも強豪校でパーカッションをやっていたとのこと。

先輩は三人しかおらず、やや不安になるが、自分と同じ素人の子もいたので、ちょっと安心した。

先輩もやさしい感じがしたので、パーカッションに決めた。


高校三年間は、顧問が厳しい指導をする先生だったことや、全国大会金賞!という部の目標にコミットする部員が多かったことにも影響され、吹部中心の生活になった。

でも、同学年の順菜とは親友になれたし、たくさんの後輩にも愛されて、よい部活動だった…と思う。思った以上にトゲトゲしていたのは嫌な面はあったが、全国金賞をとれた今となってはそれもよい思い出。


でも、その代わりに受験勉強は地獄の日々だった。

部活推薦もなかったし、ガチで勝負しなければならないのは結構キツイ。

自分は文学部が向いてるとは思ってたので、競争率は他の学部よりましだったが…

順菜と励まし合いながら、なんとか同じ公立大学に滑り込んだのだった。


しなやかに強く育ったかは自分ではわからないけど、吹部でど根性だけは鍛えられたのかなと思う、今日この頃なのです。