万紗子の紗は、しなやかに強く育ってほしいという願いを込めて、名付けられた。
かぼちゃパンツのまさこ、赤い大きなリボン🎀をつけて、喜んでいる。以後は赤いリボンがトレードマークになった。
小学生の万紗子は、なんにでも一生懸命にチャレンジする子だった。
吹奏楽コンサートで音楽が好きになり、いろいろ調べ始め、のちに音楽博士の異名をとることになる。
音楽のことなら、たいていのことには答えられるようになり、クラスメートから尊敬された。
中学生の万紗子は、吹部にも興味はあったが、体力をつけようと思い、運動部に入った。軟式テニス部でボールを追いかける日々は楽しかったが、音楽への情熱が失われたわけではなかった。
北宇治高校に入学した万紗子。
入学式で吹部の演奏を聴き、
このレベルなら、素人の自分が入っても、ついていけるかも。
と思い、見学に行く。
特にパーカッションが楽しそうかな、と思い、話を聞きにいくと、同学年の子が二人いた。
ひとりは中学でも強豪校でパーカッションをやっていたとのこと。
先輩は三人しかおらず、やや不安になるが、自分と同じ素人の子もいたので、ちょっと安心した。
先輩もやさしい感じがしたので、パーカッションに決めた。
高校三年間は、顧問が厳しい指導をする先生だったことや、全国大会金賞!という部の目標にコミットする部員が多かったことにも影響され、吹部中心の生活になった。
でも、同学年の順菜とは親友になれたし、たくさんの後輩にも愛されて、よい部活動だった…と思う。思った以上にトゲトゲしていたのは嫌な面はあったが、全国金賞をとれた今となってはそれもよい思い出。
でも、その代わりに受験勉強は地獄の日々だった。
部活推薦もなかったし、ガチで勝負しなければならないのは結構キツイ。
自分は文学部が向いてるとは思ってたので、競争率は他の学部よりましだったが…
順菜と励まし合いながら、なんとか同じ公立大学に滑り込んだのだった。
しなやかに強く育ったかは自分ではわからないけど、吹部でど根性だけは鍛えられたのかなと思う、今日この頃なのです。
了