徳勝寺
戦国時代には医王寺の名で小谷城下にあったそうです。
浅井氏はもともと湖北地方の豪族で、京極家の家臣でした。
湖北とは、琵琶湖の北側になります。
(長浜市と米原市)
初代浅井亮政の時代に勃興し
1518永正15年、浅井亮政の小谷城築城に伴い、菩提寺となりました。
亮政の没後も二代久政が家督相続。
三代長政は信長の妹・お市の方を妻として迎えました
その後「姉川の合戦」で信長の家臣である秀吉に小谷城を攻められ敗色濃厚と見た久政、長政は妻子を城から出した後に自害。
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小谷城落城の後、かわって湖北を手中におさめた豊臣秀吉が小谷城を廃城とし、天正3年(1575年)今浜(長浜)に新たな城「長浜城」を築城した際にあわせて、1595年長浜城内に移築され、亮政の法号に因んで徳勝寺と改称されました。
浅井家は滅亡しましたが、小谷城を脱出した浅井家の三人の娘。
長女・茶々は豊臣秀吉の側室・淀殿
次女・お初は京極高次の正室
三女・お江は徳川二代将軍徳川秀忠の正室
となりました。
境内には浅井三代(初代亮政、二代久政、三代長政)のお墓が建っています