自転車で大阪七福神をお参りしました。

まずは四天王寺・布袋尊

御朱印

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御朱印が24個?あるときき
あまりの多さにびっくりです!
全部ほしかったのですが、時間がかかるので8個だけいただきました。 


都会の真ん中にこんな大きなお寺があるんですね
中に入ると静かです


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四天王寺の名前の由来は仏教における「四天王」(持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天))で、創建当時は四天王が御本尊でしたが、平安時代以降は金堂に安置されている救世観世音菩薩が本尊とされています。 
救世観世音菩薩は人々を世の苦しみから救う菩薩様とされ、聖徳太子に由来するお寺ではよく本尊として安置されています

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鳥居上部には扁額が掲げられています。
よく見えませんが
「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」
と書かれています。
意味は
「釈迦如来が説法を説くところで、ここが極楽東門の中心」
ということだそうです。


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四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされています。

七大寺とは
法隆寺、広隆寺、法起寺、中宮寺、橘寺(聖徳太子生誕地)、葛木寺、四天王寺


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四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものです。

飛鳥寺の日記は→ こちらへ

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6世紀ころに朝鮮半島から仏教が伝来した際、仏教を積極的に取り入れようとする崇仏派の蘇我氏と、仏教を排除しようとする排仏派の物部氏が対立し双方の争いが起きたとき、蘇我氏の厩戸豊聰耳皇子(のちの聖徳太子)は、仏教の守護神である四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)に蘇我氏が勝つように祈願しました。

そして、結果として蘇我氏は物部氏を滅ぼすことになるのですが、そのことに感謝して聖徳太子は20歳のとき摂政皇太子になるにあたって、日本で最初の官寺である四天王寺を推古天皇元年(593年)に建立したのです。

日本初の本格的な仏教寺院。

宗派は和宗です。
和宗とは
聖徳太子ご創建当初(593年)は、日本にはまだ宗派という概念がありませんでした。

奈良時代に、南都六宗と言われる聖徳太子仏教(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗)が誕生した時には、四天王寺は六つのいずれにも属さずに、六つの宗派の別格本山として扱われていました。

平安時代には、空海の真言宗と最澄の天台宗が日本仏教の主力となり、空海や最澄が四天王寺で修行されていたこともあり、

最澄の天台宗では聖徳太子と同じ法華経を重要視していたことや、最澄が聖徳太子を誰よりも師と崇拝していたこともあって、四天王寺は徐々に天台宗との関係を深くしていきました。


戦前までは天台宗に属していましたが、建立当初の基本に戻るべくどの宗派の方でも四天王寺をご参詣いただける様にと願いを込めて1946年(昭和21年)に天台宗から独立し、十七條憲法の第一條「和を以って貴しとなす」の「和」をいただいて1949年(昭和24年)「和宗」の総本山となりました。


全敷地面積33000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内


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伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。
日本では最も古い建築様式のひとつだそうです

仏教の根本精神の実践の場として、中心伽藍の北には、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四箇院という施設を作り、日本初の福祉施設として後世に深い影響を与えました。 


山号(荒陵山(あらはかさん)

正式名(和宗総本山四天王寺」

宗派(和宗)

ご本尊(救世観世音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)

札所(聖徳太子霊跡1番、新西国三十三所1番、近畿三十六不動尊1番、法然上人二十五霊跡6番、西国薬師四十九霊場16番、摂津国八十八箇所25番、神仏霊場巡拝の道第43番、西方四十八願所44番、西国三十三所番外、四国八十八ヶ所霊場番外他

開基 (聖徳太子)
創建年(推古天皇元年(593年)
住所(大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

参拝できましたことに感謝いたします

また、最後までご覧いただきありがとうございました