こころの傷を消してしまいたいあなたへ | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

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いつも心に太陽を。

    

さ~てと、封印していたことをカミングアウトする時がやってまいりました。


テーマ=離婚


私は、知る人ぞ知る 離婚者です。


なんで離婚したの?いつ?  つい聞きたくなりませんか?


私はそんな質問をされるのが、嫌で、世間体も気にして、


ずっと公にしてきませんでした。


基本的に、自分のことを言わない、人のことも言わない性格 プラス


あの時の思いが、よみがえり、どうしようもない感情、つまり


コントロールできない感情におそいかかることが、あったからです。


いっつも、よき理解者である父に、猛烈な反対を押し切っての、結婚でした。


この人となら、いっつも楽しく共に生きていけると感じていました。


ところが、離婚。。


愛している人を疑うことをしました。


もしかして~の感情


とってもつらかったあ~。問いたださなければ、ならないできごとが


襲いかかり、まるで 「犯人は、お前だ!」のごとく質問ぜめにしたのです。


何故?何故?何故?そうしている間に、悲しみから怒りになり


まったく信用できず、おんなじ空気も吸いたくないくらいで、


かろうじて話すすべての事が、嘘だと思いました。


私は、夢みる夢子ちゃん。


1月は、お正月 2月は、イチゴ狩り 3月は温泉 4月は花見 5月は潮干狩り


6月は 紫陽花 7月はと 抱いていたのに。。。


相手のご両親に、最後は、ボロクソ言われました。


彼が先に家を出て、私も実家の近くのアパートに引っ越しました。


役所へ行って離婚届をだすとき、私は受付で、震え涙をとめることが、できませんでした。


あの時の受付のかた、とっても親切で、しばらく時間をくれましたが、


軽込の名に戻りました。「新たな出発ですよ」といってくれたのを、


お礼も言えませんでしたが覚えています。


職場でも、なにもなっかたふりをするのに、精いっぱいで1年くらい


言えませんでした。


父がそのころ癌で、余命3か月と言われたころで、


離婚した娘が、父にこれ以上心配かけないようにするためには、


一緒に食事をして、残さないことでした。


悲しくって、食事がのどをとおりません。けれど、


悲しみによっている暇はなく、父が、みるみる弱っていくのです。


父は寝床で言ってくれました。


「相手がわるいんじゃないんだよ。お前の見る目がなかったんだ」と


そして、「陽子が一番かわいいよ」と心不安定な私に、伝えて続けてくれました。


私は、キャンパスノートに彼に対する、未練、後悔、恨み、憎しみを


10年もの歳月、思い出すたびに、かきつづっていました。


過去の苦い経験!できればキャンパスノートの字を間違えた時


消せるように、自分の過去も消してしまいたいくらいの思いを


社会の中で、自分自身が、忘れるくらい


私は、離婚のことを隠し続けて生きてきたのです。


そして、私は、シンボリックメソッドを知り、


心の傷、消す事は、自分自身を否定すること、


シンボリックセラピーで心の傷を癒すことができることを学びました。