私のご先祖様の話〜ポンコツな私との対比〜 | 石原知明〜四日市消化器病センター肝臓内科医〜

石原知明〜四日市消化器病センター肝臓内科医〜

たま〜にTGRラリーチャレンジにエントリーするショボいラリーチーム監督のブログ

父方のご先祖についての話。

 

まずは、おじいちゃん。

もし、生きていたら133歳のはず。

 

石原勝一さん

徳島県吉野川市(旧鴨島町)出身、

愛知県安城市で起業

 

私が小さい頃に他界し、ちょっぴりしか記憶にない。

 

創業した会社

1)日本モウルド工業株式会社

https://www.mold.co.jp

パルプ製の卵パック、フルーツトレイなどを作ります

 

2)碧海信用金庫

https://www.hekishin.jp

金融機関です

 

3)コアラドライブ安城

https://www.coaradrive.com

自動車学校です。

 

4)中央精機株式会社

https://www.chuoseiki.co.jp/company/office.html

自動車のホイールなどを作ります。

Super GTでも活躍中の

ブランドホイール販売メーカー『Weds』は、

元々、中央精機が「エルスター」という商品を販売する為に

設立された会社なんですよ。

 

四日市消化器病センターCVTヤリスも

TGRラリチャレ以外ではWeds sportの

ホイールを使ってます!

 

ということで、自動車関連が多いですね。

安城市に寄付したり

商工会議所の会頭などをやっていたこともあり

(こんな新聞があったようです)

https://anjo-cci.or.jp/imgdb/kaihou/257.pdf

 

50年前の葬儀は安城市の市民葬でした。

 

 

さらに、もっともっとおじいちゃん

(『スーパーじーじ』とよんでいる)

遡ること550年前

 

室町時代の武士で

飯尾(彦六左衛門ミドルネームか?)常房さん

(いのお つねふさ)

https://www.weblio.jp/content/飯尾常房#google_vignette

https://kotobank.jp/word/飯尾常房-15199#goog_rewarded

 

徳島県生まれで、書字と和歌がうまく

それが理由かわかりませんが

室町幕府8代将軍足利義政に抜擢され

現代でいう『書記』をしていたようです。

まあ、この将軍さんは、

資金も少ないのに銀閣寺を作ったり、

周囲を制御できず『応仁の乱』につながったり

今ひとつ、人気がないんですけどね。

 

その後、応仁の乱で荒れ果てた都から

故郷の徳島にもどってきたとのこと。

その後、石原姓で子孫が土着していきました。

この時

「なれや知る 都は野辺の 夕ひばり 上がると見ても 落つる涙は」

という歌を残し、結構有名らしい。

『私の知っている都は戦乱でボロボロになってしまった。

ひばりが舞い上がるのをみて涙がでる』

のような意味と思いますが、よっぽど心が折れたでしょうね。

スーパーじいちゃんお疲れ様でした。

 

そして、その末裔の私。

こどもの頃から、こんな写真ばかり

電車、飛行機、車‥

乗り物ばっかやん。

乗り物好きDNAは引き継ぎますので

今の性分は仕方ないのかもと思う一方で、

ここまで生きてポンコツだと

先祖の方が歴史に名を残してお偉いのに、

そちら関連のDNAは薄まってんのかな?

 

『静かにしておいた方が、ご先祖様に迷惑かけるまい』

という気がしますが、

お二人とも、生きてお会いできたら

いっぺん人生相談してみたいところですね。

 

四日市地区へのご縁を医療という恩返しでがんばろうと

私にネジを巻いてくれるご先祖さまの話でした。