みょうえ とがのお こうざんじ ひわ
と読むらしい。明恵というのは、名前。鎌倉時代の華厳宗のお坊さん。明恵上人(みょうえしょうにん)とか栂尾上人(とがのおしょうにん)とも呼ばれているらしい。
1冊500ページの上下巻。かなり読み応えがあり、全編通して様々な事が感じられます。鎌倉時代の時代背景や凄まじい修行の様子、美しい華厳経の世界(かな?とにかく美しいと感じる場面)
その中でも 四 奢る平家(おごる へいけ)の中にこんな一幕がありました。
薬師(やくし:明恵の幼名)の 乳母:葦乃(よしの) の態度が 奉公人:知念(ちねん) に対して少々難あり。。。
知念も特に賢いわけでもなく、優しいわけでもなく、母親が口減らしの為にお寺に捨てた(置いてきぼりにした)少年。そのせいで可愛げのない少々やんちゃな少年。そんなわけで、葦乃に代表されるような周りの大人たちの態度によって知念はだんだんとヤサグレていきます。
周りの大人達の「知念に対する態度」と「薬師に対する態度」は当然違います。
そうなると邪気の無い薬師に対して知念が抱く感情とその感情をベースにした薬師に対する知念の言動というのは、現代社会でもよくある光景でした。
この本には、明恵の生涯のみならず、様々な人達の生涯が描かれています。
私は知念の言動を見ていて、一歩間違えれば私も知念のようになっていたかもしれないと思い、さらに、不良少年やら犯罪者やらはこうして出来上がるのかもしれないと考えさせられました。
知念は薬師の伯父に当たる上覚(じょうかく)をとても慕っていました。訳あって知念は上覚と一緒にいられなくなり、薬師の家に預けられます。知念はそれから徐々にヤサグレていきました。
もし、上覚とずっと一緒にいられたならヤサグレずに済んだのかな?と思うと、誰にとっても上覚のような存在はとても大事なのだろうと・・・現代の社会問題などと照らし合わせて色々と考えてしまいました。
そしてドキリとしたのは、上覚の師である文覚(もんがく)の言葉。
「気にせんでいい。帰ってくればそれでよし、帰って来なければまたそれもよし。あの者はなあ、生れた時から貧相な根しか持っておらなかった。いくら大事に育てても根が貧相な者はよう育たぬ。頭がいいの悪いのというが、実は根が問題なのだ。しっかりとした命の根を持って生まれる者と、あのように貧相な根しか持たずに生れてくる者がいる。後からどうこうしようとしても、どうにもならぬ」
思わず、私自身の根は大丈夫だろうか?と考えると同時に、むやみやたらに他人の心配をしたり、あーしたら、こーしたら、と親切心から世話を焼くのも余計なお世話なのかもしれないなぁと思いました。
明恵上人の生涯を描いた歴史小説ではありますが、読みながら自分の人生を振り返り、自分自身の生き方、在り方を見直してしまう何とも不思議で読み応えのある本でした。
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