鉢の石仏(越後の野麦峠)
テーマ:日々の暮らし
越後・十日町市は昔から織物の町だった・・・
そこは越後の野麦峠。
新井市方面から出稼ぎにきた若い娘が最短距離で里帰りした峠道、豪雪地で冬の里帰りで雪の峠を超えるのは至難の事。
大勢の女工が行倒れとなり、死体を曝した峠との事だ。
「峠の石仏」=「鉢の石仏」がある👇。
解説 真田甲の辺りは通称「鉢(はち)」と呼ばれ、禅僧・明屋有照が天啓を受けてここを聖地と定め、石仏等を多数安置して「照利庵」なる庵を開きました。今では毎年9月第1土・日曜日に「石仏まつり」が開催されています。
若い頃・車で県内名所を回る…3人の仲間で草鞋会を作り、
鉢の石仏を訪問した事があったが何だか背筋が寒くなり、
石仏群の中には入らず仕舞いで帰宅した。
2度目の訪問は自分一人で,石仏群の結界を踏む前に、
『延命十句観音経』を黙読し鉢の石仏に足を踏み込んで見た。
多分半ばまで入った頃、墓の影から見た事も無い絶世の美女が現れた・・・亡霊とは知りつつ、2事3事、話かけ奥へ数歩歩いて振り返ると誰もいない・・・成程と一人納得し帰宅。
その後妻を同道し別の年に2度訪問を試みたが、
残雪などで到達できず…やっぱりなと独り納得。
筆者には大勢の背後霊(大刀洗飛行場から飛び立ち戦死した若人)が付いている。
この「忠霊の塔」は甘木公園に在り、大刀洗飛行場の日本軍が特攻兵を弔う為に建立したと聞いて育った。
高校卒業記念の1枚としてアルバムに載せていた物です。
「勇士らは生命を捧げたり,勇士らは戦いに打ち勝てり、
その御霊微笑みてここに在り、今仰ぐ忠禮の塔の前」。
忠霊の塔の裏に掛かれていた文字です👆。
筆者が故郷を後にする前日の真夜中、甘木公園(丸山公園)で
誓いの言葉を述べて故郷を後にしたが、、英霊の皆様が背後霊の仲間として付いてきてくれたようだ。
そして、鉢の石仏で凍死された乙女たちと特攻隊員として
戦死された空の勇士達と霊界での出会いの一助になればと思っている。