父が書き残していた、戦後の混乱期の思いで「老いのたわごと三」 | よかもん人生のブログ

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「老いのたわごと三」からの転載。

是はわが体験であり、記憶の一部である。
従って子等に或いは孫たちに世相の異なった現在「かくあれ」と
いうのではなく、「かくあった」伝えるだけで他意はない。
唯、何かの機会に、通読すれば、又何かを知得するであろう。
それが血族の血となり肉となり骨となるかもわからない

(二)我が家の合唱歌

昭和20年8月15日太平洋戦争敗戦日を中心に、前後十二年は、
日本国中騒然たるものであった。

太刀洗飛行第四聯隊(今自衛隊では連体と書いているが当時は
この字を使っていた)のある太刀洗飛行場へ直線距離で南西へ4キロ
高射砲第四聯隊へ南東1キロ、或いは学徒の入隊する生徒隊等も
近かった。

戦争末期は太刀洗飛行場が特攻隊の後方基地だった関係も有り、
敗戦後まで騒然たるものが他のどの地方にもおとらぬものだった事は当然だろう。

我が家も賑やかだった。
上から娘が五人、その下に男児が三人つづいた八人の子福者。
妻は喰い盛りの子供の為に、食料集めに熱中し、それでいて中々
思うにまかせず、油断すれば子等の不平をかうことしばしばだった。

何々さんかたは、何をした、何がある等と、
幸い長女は高女卒業で比較的に社交家だったし。
一時期は買い出しに専念し、妻の片腕となり、学用品等も、
他家の倍も三倍も入用なので、飯塚に行き一年分位、買い溜めする有様で、子供たちが必要な時、すぐに必要な分だけ入手できない時期で、学校へ行っている子は次女を始め四人か五人いた。

「金島の漁師に頼んでおいた・・・時々漁を持ってくるようにと」
是には閉口した。
今日は鮎が三斤だ。
幾日かすると川エビだ。
ハヤだと、蛋白資源のとぼしい時、ありがたいが、あいてくる。

こんな苦労も知らず、子供たちは曲がりなりにも栄養失調にもならず
(よかもん加筆・・父は栄養失調となり加療したそうだ)

一木に甘藷(サツマイモ)の買い出しに行っての帰り、妻と長女が
郊外で経済警察の巡視に引っかかった。
「しまった何か言われる」
腹を決めた瞬間、警察官はニヤッと笑ってソッポを向いたそうだ。
悪質な買い出し部隊では無い事を見て取ったのか、それとも顔み知りの警察官で有ったかも知れない。
胸撫で下ろして帰宅した時も動悸は止まって居なかった。
甘藷十貫位を買い込んでの帰りだった。

警官自身も、自宅ではヤミ米を買わねば生きて行かれない時代であり
ある判事が一切ヤミ買いせず、配給のみで生活し栄養失調死し、
その是非が新聞紙上で論争せられた時代である。

甲は立派であると書けば、乙は死ぬとは馬鹿正直だと反論する。
妻と私の意見も違っている。
今でも是非の判断は判らない。
個人個人の是、善悪の見方はそれぞれ違う物であり、
幼少の時は、親の権力と腕力で従わせる事もできるが、
自分の意志で判断できる年齢になれば、
あらゆる行動の出処進退・是非善悪は自分の責任で行動し、
親は問わるれば、答えるだけとなる。
(「よかもん」も故郷を離れる時、同じ趣旨の事を言われた)

持丸の友達の所で渋柿を頼んできた。
又又、長女のどえらいヒット、涼しい顔してる二俵運んできた。
確か当時の金で一俵八十円位支払ったが子供達は歓声あげた。

十個か十五個の吊るし柿で誰が喰った、いや取らぬ、けんかするのに
何百と山と積んだのを見て、肝を抜かれ総動員で皮むきし、
干したのは見事だった。
一週間か十日たち、少し甘みが付いたのから、誰が喰うのか
一つ一つ
ポツンポツンとすき間が出来ていっても今度はけんかの種にならなかった。

子供たちが小使銭を持っても「キャラメル」さえ自由に買えない、
今から見れば嘘の様な時代だったし、自家製の他に道はなかった。
日帰り遠足でもあれば、その前晩「メリケン粉」にズルチンを入れて
「亀の子せんべい」を焼くのが我が家の唯一の取り柄だった。
「センベイ型」は幸い本物を入手していたし、他家では作らない
自慢のものだった。

多くの子供たちはメリケン粉でクラッカーセンベイ加工して持参するのが多かった。

戦争が進むにつれて、食料不足が目に見えて来た。
ソラマメ畑をそのまま買って、翌日楽しみに豆もぎに行ったら、
夜のうちに泥棒に取られていた。
銭は払った後だし誰がやったやら、完全に農家にしてやられた訳だが
我が家の馬鹿さ加減も教えられ、苦笑の外は無い。

一木に畑を借り凡そ二キロを歩いて甘藷植えに行き、
途中、何度も草取り、蔓おこし、秋には何十貫・何百貫か収穫する夢は良かったが、これがまた失敗、収穫は少なかった。
農家が知っていて収穫直前、大半の良い所だけ掘り出され持ち去られていた。

食料不足時の人心のさむこさ、怒るに怒れず、笑うに腹から笑えない門おがある。

「老いのたわごと三」は
ここまでの随想ですが、

親子鷹の気を受け継いで今が在る。