盂蘭盆も無事に終わりました | よかもん人生のブログ

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平穏のまま無事に旧盆行事は終わった。
 
此方は送り火・迎え火の行事が無いのは何とも寂しい。
 
故郷の昔はお盆が近づくとオガラ売りが町を売り歩いた。
 
故郷甘木では、13日夕、迎え火として玄関前で、
オガラと呼ばれる皮をはいだ真っ白い麻の茎を折って
つみ重ね、火をつけて燃した・・・そして
家族が連れ立って墓地へ行きご先祖様を背負って来た。
 
送り火は16日の朝、残りの皮をはいだ真っ白い麻の茎を折ってつみ重ねて燃やし、ご先祖様を背負って迎え火の時に通った道と別の道を選び墓地に行きお帰り頂いた。
(同じ道だと自宅までの道を覚えて霊が憑くと言われた)
 
今、住んでいる新潟中越地方にその風習は無い。
 
ご先祖様への送り迎えは有るのだが風習の違いは寂しい。
 
息子や娘の記憶には盆提灯を持ち、お墓からの帰り道に、
ロウソクを提灯に灯し持ち帰る記憶だけだろう。
 
息子は灯した提灯を揺らしすぎて何度も提灯を燃やした。
 
此方でも仏前へのお供えはするのだが、
 
御霊供膳(おりょうぐぜん)と呼ばれる風習は無い。
 
故郷甘木では、自宅の仏前にママゴトに使うような小さな茶碗に精進料理が盛り付けられていた。(禅宗~臨済宗)
 
④・⑤
・③
①・②
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①飯椀(白飯)
②汁椀(味噌汁…豆腐・ワカメ・お揚げ、など)
③坪(香の物・漬け物)
④高坏(和え物…おひたしなど)
⑤平椀(五種盛り…煮物の盛り合わせ)
 
一段下がって「餓鬼奴』の為に一皿だけ盛られていた。
 
餓鬼奴に盛られた食事には絶対手を付けてはならない。
 
食糧難時代、朝の御霊供膳(おりょうぐぜん)を夕方には
 
食べて良いと許可が出た、わずかな量だが楽しみだった。
 
そして今朝、小雨の降る中で盆の終わりを迎えました。
 
イメージ 1
 
廻り灯篭が未来永劫・・・続く事を願って・・・
 
餓鬼奴の残り料理他は
 
流灌頂で燃やされたり川に流された。