義父母の墓参りに行って、古くなり折れた塔婆を回収してきた。
菩提寺の観音堂下に回収してきた塔婆を収める場所が有りそこに収めておくと、
1年間分を纏めて荼毘供養してくれるとの事であった。
曼珠沙華を見る度に思い出し思わず口ずさむ歌がある。
昭和13年、私が生まれる前の歌であるが、兄弟姉妹の下から2番目であった私を
姉達が面倒見る内に自然と耳学問で覚えてしまった歌である。
長崎物語・・・哀愁を帯びたこの歌が子守歌のようにして育ったのです。
長崎は異国情緒のある街として、
からゆき(唐行き)さんの悲しい伝えとして
原爆の街として
雨の多い街として・・・悲しみの歌が多い。
からゆき(唐行き)さんの悲しい伝えとして
原爆の街として
雨の多い街として・・・悲しみの歌が多い。
長崎の鐘や、さだまさしの精楼流し・・・
その中でも「島原地方の子守歌」は悲しみを代表する歌として心に刻み込まれている。
昭和20年代後半、初めて長崎の街を歩いたが市電が走る町並みは、
都会と言うには素朴な感じがする街であった。
行くたびに変貌を遂げる町並みは今は面影すらない。
それに引き比べると、我が故郷(甘木)の町並みは時代に取り残されカビくさい街になり果てている。
それでも故郷は遠きに有ると懐かしく思える。
彼岸に故郷の墓参りにも行けないが、ご先祖様は冥土からこのブログ文でも読んでくれているだろう。
禅僧は難しく言うが、人が死ねば全ての元である、原子や分子に返るだけ。
「無と有」が同一と看破した禅僧は素晴らしい洞察力が有ったのです。
宗教は「無と有」それに肉付けして教理を定め迷える人心に道を示してきた物であろう。
信じる者は救われる・・入信者には教理に対し無批判、絶対服従を枷として負わせる。
無神論者に近い私など、どの宗教にも入信は無理なようです。
秋彼岸の話しが脱線してしまったが、更に脱線するならば政治だって同じ事。
マインドコントロールの仕方は宗教と同じです。
さてアメリカの鳩山首相から、どんな対話が流れてくるのやら?