袖に涙のかかるとき | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

いわれも知らず聞きかじりで覚えていた、この短歌?。

落ちぶれて,袖に涙の,かかるとき,人の心の,奥ぞしらるる

師走の風に身に沁みる人も多いことだろう。


結婚したばかりで、まだ若い頃、倒産で師走の町に放り出され途方に暮れた思い出がある。

とにかく家族を養う義務があり、何でもいいからと畑違いの職を紹介され働き出した。

それから有為転変し今の自分がいるのだが、現実に今放り出された人達の気分は良くわかる。


冒頭の一文が鹿児島県の「串木野さのさ」で歌われていた事を偶然に知った。

歌詞は120種以上も存在するという。

続く言葉は、・・・朝日を拝む人あれど、夕日を拝む人はない・・・・と続く。

「串木野さのさ」から抜粋して一部を紹介します。


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民謡「串木野さのさ」

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落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知る
朝日を拝む人あれど 夕日を拝む人はない

義理も捨て 人情も捨てて世も捨てて 親兄弟も捨てたのに
捨てられないのが主一人 もとは他人でありながら

いつまでも あると思うな親と金 ないと思うな災難を(運と災難)
九月一日震災に さすがの東京も灰となる

明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹くように
荒海稼業の我々の 明日の命を誰が知る

夢去りて 人に踏まれし道草の 露の情けにまた生きる
たどる苦難の人生も 涙でくらす五十年

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捨てる神あれば拾う神ありとも申します、波乱万丈を生き抜く手立てになれば幸いです。