朝から激しい涙雨が降っている。
63年前、薄ぼんやりとしていた3歳8ヶ月の記憶では
8月15日の今頃は裏庭の防空壕の中に居た。
昭和20年8月14日、明日爆撃するとのアメリカ軍の爆撃予告が飛行機から撒かれて、
14日には町中大パニックとなり大多数の町民は郊外へ避難した中、
我が家は一旦避難していながら、大所帯でもあり親戚に迷惑は掛けられないと、
14日夜に我が家に戻り、防空壕で家族全員が一夜を過ごした。
死なば諸共と覚悟の上の決断であったのだろう。
幼心に家族の必死さが伝わってきた。
空けて15日、米軍の爆撃機は飛来せず正午になって玉音放送がラジオから流れ、
戦争が終わったと親兄弟が歓喜しているのを見て、ほっとした事を何となく覚えている。
戦争は終わったが、飢餓との戦争は更に厳しさを増す中、
土手のスカンポを食べ、ギシギシを噛み、サワガニを探し、ドジョウを獲り、
ザリガニは御馳走で、ありとあらゆる手段で、飢えを凌いできた。
あれから63年、私の年代はおぼろげながらでも、最後の戦争記憶者であろう。
人間のDNAの中には、子孫を残す為に、
同類でも戦争で殺す、子孫繁栄を願う仕組みが埋め込まれているようだ。
日本では平和憲法という理性が63年間の平和を維持させてくれた。
しかし世界は違う、人間の恨みは2千年でも3千年でも終わる事はない。
この63年間に、幾多の戦争が有って、
内戦も含め世界中で何百万~何千万の命が消えていったのだろう。
武器を持たない静かな戦争も人類66億人を狙いだしている。
温暖化を筆頭に、低開発国の人口爆発は留まる所を知らず、食料戦争は既に起きている。
核の駆け引きは、命の全てを焼き尽くしても終わる事はないだろう。
その前に、強力な病原菌の世界的蔓延は避けられるのだろうか?
戦争を題材に取ると、どうしても内容が暗くなる。
世界に冠たる仏教国である日本では、
敗戦直後の国内を国主である天皇が回られても、
誰一人危害を加えるものさえいなかった。
それは世界の常識を超える出来事として語り継がれている。
平和を愛する日本人、外圧はそれさえも許さないようである。
強くなりすぎるのは困るが、日本人はアメリカの統治下として強力に育ってきた。
この先どう進むのかは、誰にもわからないが、
自らを律し、馬鹿げた戦争だけは避けねばならない。