本屋に立ち寄った際、この本に目が入ってしまった。
兄や姉は正にこの年代の申し子で軍国少年少女だったのです。
終戦時、生後3年9ヶ月の私はそれを見て育ってきました。
1900円也、少々高いと思ったが買い込んで来て読みふけってしまいました。
其々の少年時代の体験が、夫々の文体で、終戦の日をはさんで、赤裸々に書いて有りました。
私の体験は、ブログ書庫トップの回想の初め頃に書き込んでいます。
今と違い訪問してくださるブロガーも少なく、文章も今よりも拙い書き方でした。
昭和20年8月15日を挟んでの記憶は、8月14日に明日、町を爆撃するとの爆撃予告のビラで、
町中が大騒ぎして、我が家も一時郊外の親戚の家に逃げたが、他所に迷惑は掛けられないと、
その日の夕方には家に帰り、死ぬときは一緒と家族全員で家に掘っていた防空壕で一夜を過ごした事です。
蝋燭を灯し、一晩中話したり歌を歌っていたようです。
翌日の玉音放送は、家のラジオで家族揃って聞いていました。
父が戦争に負けた、今日から平和になるはずだが、外国軍が進駐してきたらどうなるか分からないと、
話していたそうです・・・(ここは記憶に無い)
家にあった沢山の軍歌のレコードはその日のうちに畳を捲り、床の下に父が埋めていました。
終戦後も飢餓との戦いは続き、ひもじさの記憶は焼きついています。
程なく米軍が町内の管区役場後に進駐してきてMPの姿が厳しくもを行き来していました。
腹を空かせた友人達は、米軍人が時折くれる食べ物(チョコレート)などに群がっていましたが、
我が家は父が厳しく貰いに行くことを堅く禁じられていました。
チョコレートを初めて食べたのは小学校で特別に出された時でした。
余談ですが、甘いものを余り食べた事がなかった我が家の兄弟姉妹は虫歯知らずで育ち、
姉は虫歯無しで表彰されていました。
今まで虐げられていた、外国人籍の人達が大威張りで町を支配する勢いとなり、
警察力も及ばず、傍若無人な振る舞いでそれを押さえられた日本人はヤクザだけでした。
町に二つあったヤクザ組織の人達に一般商店までが警護を依頼していたようです。
用事ができましたので、後日続きは書く事にします。