ミステリーゾーン・越路町百塚を訪ねて | よかもん人生のブログ

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今日はなんだか寝覚めが悪い。

一昨日のドライブで越路町の百塚を訪ねて、そこは妻が記事にしていたのだが・・・・

そこで聞こえたツクツクボウシの鳴き声や、

出迎えて飛び回ってくれた黒い色の中に鮮やかな色模様を浮かばせていた揚羽蝶が何か囁く。

こんな色鮮やかな黒アゲハなど初めて見た・・・・・

聞いた話では、死んだ人が「黒揚羽蝶」になって会いに来るという・・・

動きが速く写真に撮れなかったことが返す返すも残念なんだが、頭の中に残像が残されている。

写真のクロアゲハはサイトからの頂き物です。

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ここの百塚と小千谷三仏生の百塚とは凡そ7~8㎞、争った伝説まで残されている。

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郷土がわかる文化財によると・・・

    【夕日長者の伝説】
越路町の朝日百塚に関連したものとして次のようなことを伝えている。
 永禄年中(1558-1570)または三仏生村が岩野村と呼ばれた頃に、三島郡朝日の豪族と勢力を争っていた夕日長者と言う豪族がいた。このとき朝日長者に攻められた夕日長者は、宝物を埋蔵するため幾つもの塚を築いた。
 三仏生の熊野神社は夕日長者の内鎮守であり、夕日長者が書き残した次のような歌が残されていたという。
「朝日さす夕日輝く木の元に黄金千両同宇建立」


ここで妻が撮した水車小屋の東屋には微かに例の白玉が写り込んでいた。

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ここ朝日百塚は、標高83mの越路原で、今は越路中学の裏手に当たり、
        旧浜道に沿って3~4列と点々と盛土墳丘の遺構で、
        150基あったが昭和38年の越路原開発事業で現存17基が保存されている。

        開発事業のさい掘り返した塚からは何も出土品はなかったそうである。

深閑とした杉木立の中に公園は整備されているが、訪れる人などほとんど無いようで、

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              私の顔が草葉の陰に隠れていました。


忘れ去られた墳墓の声がツクツクボウシや揚羽蝶となって、書いてくれと言っているような気がしてならない。

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擬態の上手い蛙たちも静かに見守っていました。

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今用事が終わりましたので写真アップしました。