団塊の世代が定年を迎えようとしている、この時期にも、霊場巡りの遍路道を歩く人は多い。
諸々の悩みを胸に或いは、お礼参りに、遍路の道を辿る人は多い。
バスで巡る簡単ツアーもあるが、己の足で額に汗して歩いて得られる霊感もあるはず。
妻の曾祖母が明治36年5月42才で西国33霊場巡りをしたときの、
記念の杖と掛け軸が我が家に残されている。
そのハッキリとした経緯は語り継がれていないが、水盃を酌み交わして出立したそうである。
雪深い越後から、徒歩で行くには男でも大変なはず、
一人で行ったものか何かの講に入って行ったのか今では知る術もない。
妻の話では、祖祖母の記憶は僅かにあり、疱瘡の傷跡が残る顔は、鼻が欠け、
魔法使いみたいだったと言っている。
おそらくは疱瘡から、九死に一生を得た病気快癒のお礼詣りだっのかも知れない。
その遍路杖は、旧家屋の台所天上付近に護り杖としてか、長年飾られ竈の煙に黒く煤けて、
旧家屋の後に新築した我が家に今に伝わっている。
掛け軸も、年の流れが、染み込んで、線香の火が掛け軸下部を焦がしている。
他人にとっては無価値な遍路杖と破れ掛け軸も我が家にとっては、
玉杖と守り本尊が宿る掛け軸の宝である。
写真の下部には、前にブログ仲間から頂いた、恵比寿様の手彫りの彫刻も、大黒様と共に写真に収まって頂いた。
これら全てが我が家を護り、過去を背負い明日を孕んで今を生きている。
全ての人に過去としての先祖があり、今の自分があるのに、
生かされている自分を何と無駄に生きていることか。
凡人の私などは、ブロガー友人が書いた四国88箇所霊場の紹介ブログに刺激されて、
漸く杖と掛け軸のことを思い出す有様。
久々に本当に久々に、この掛け軸を床の間に飾ってみたのである。合唱。
ここで見て下さい[西国33箇所観音霊場巡礼の旅]