甘木丸山公園サクラの頃の風景(貰い物です)。
4月の声を聞くと昔を思い出す。(丸山公園の思い出はここ、[あの頃の自然よ再び]で読んで下さい。)
幼かりし昔日、布製のランドセルに初めて真新し教科書とノートと鉛筆を入れ、
颯爽としながらも胸をドキドキさせて小学校に行った。[現在の甘木小学校]。
町内の又従兄弟の「よしお」ちゃんとは同じクラスになり、心強かったことを覚えている。
それまでの友達付き合いは狭い町内だけが多かった。
私が通っていた頃の小学校は全校生徒が1700~1800人もいて、
ほぼ50人で一クラス、一学年が6クラスもあった。
今は同じ学校に生徒は僅か、30%500人程しかいないそうだ。
学校のシンボル,校庭の中央に生えている大きな楠と、校舎中央の時計台は変わらない。
校門の両脇には、大きな桜の木が立ち並んでいて、
登下校の際には、さながら桜の花びらの下を潜っていった。
今と違い、生徒の服装も靴も鞄もバラバラで、誰も奇異と思わなかった。
子供達は親の職業に関係なく、力関係が自然と出来、友達の輪が広がった。
通学路など決まりがあって無きが如くで学校までの1㎏ほどの道程で
毎日違う道を帰り、それが楽しみでもあった。
友達の輪は勉強より遊びで深まり、広がっていった。
夏頃になると、学校を中心として、1時間ほどの範囲の町中の主な道では迷うことも無くなった。
車も少なく親達は生活に追われ、子供をあまり構わないでも、安心できた時代であった。
塾などはなく、せいぜい習字か算盤学校から帰ると鞄を放り出し一目散に遊びに行く。
町内の広場には既に先に来ている友達達が、馬乗り遊びや、缶蹴り遊び、メンコや、ビー玉で遊んでいる。
人数が揃うと始まるのが三角野球、まともなバットやグローブ、球さえ無くあり合わせのもので代用していた。
貧乏でもみんなが楽しかった。
そこに貧富の差など感ぜず、和気あいあいで、年長者の指示にみんなが従った。
今の子供達に見せてやりたい光景であるが、
今は映画かテレビドラマでしかお目にかかれぬシーンであろう。
今日は一転した春日に促されたのか、小学一年生の当時を思い出した。