昨年9月、買い物ついでの車の中で妻と会話中、角兵衛獅子の話が出た。
美空ひばりさんの歌や、昔の映画鞍馬天狗に出てきた杉作少年が演じた、あの越後獅子である。
日本が未だおおらかだが、貧しかった時代、今の新潟県、昔の越後は自然災害に苦しめられながらも、貧しさと闘って生きていた。
今は新潟市に併合された月潟村は、毎年のような水害に悩まされていた。
そんな環境の中、何とか生活の糧を得るためと、一人の男が思い立った事が、角兵衛獅子(越後獅子)の始まりである。
詳しい謂われについては、このサイト、
角兵衛獅子万葉風です。
更に、月潟村果樹園さんからお借りした謂われを引用させて貰います。
角兵衛獅子の発祥の年代は不明ですが、天明元年(1781年)2月、月潟本村庄屋より石瀬代官所(現在の岩室村)へ提出された「越後国獅子踊由来」によれば、「月潟村にて受け継ぎ候も古来よりの事にて由緒等その昔焼失致候由、申伝へのみに候・・・」とあります。 ただ、言い伝えに「角内・角助兄弟による父角兵衛の仇討ち」とも「海抜わずか1.2メートルの湛水地帯で、当時数えきれないほどの洪水に苦しみ、農民角兵衛が生活救済のため創業した」とも伝えられています。 江戸時代、角兵衛獅子の卓越した芸能は、京都や江戸では、年の始めの慶祝行事となり、また文化8年(1811年)に杵屋六左衛門が長唄「越後獅子」を作曲し、ほかにも常磐津などに取りあげられ、当時、いかに大衆に喜ばれたか伺うことができます。 全国を渡り歩いた角兵衛獅子も時代の波に流され、明治末年には本場月潟からも姿が消えました。 古い伝統ある芸能の滅亡を惜しみ元村長故青柳良太郎氏が昭和11年保存会を設立し後継者養成に努力され、現在伝統芸能として受け継がれています。
今まで同じ県内にいながら行った事がなかったから、じゃあ行ってみるかと、即断即決。
片道2時間ほど掛け、月潟村の角兵衛獅子記念館に向かった。
村中で!~2度迷い、着いたときにはあいにくの小雨模様であった。
先客はほとんど帰りがけの中、館内を循環、急な事とて携帯電話での写真しかない。
しばし子供時代の感傷に浸る。
鞍馬天狗は「嵐勘十郎」、杉作少年が「松島トモコ?」だったかな?
新撰組は悪役で、映画画面に登場するたびに館内は大歓声の拍手の嵐であった。
純朴な日本人の姿がそこにあった、今では考えられない情景である。
美空ひばりさんの越後獅子の歌は大ヒットとなり日本中津々浦々にまで、越後獅子の姿は浸透した。
先日ブログ仲間の「家庭菜園=tabo」さんが手作りの獅子舞の笛をブログ文に載せた。
音楽付きである。是非見て欲しい。
この文を書く事になったのもそのブログ文を見て思い出したからです。