北国にもいた坂本龍馬 | よかもん人生のブログ

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        今年の秋の長岡城


中村勘三郎主演のドラマで長岡藩の河井継之助が、

北国にいたもう一人の坂本龍馬として本日夜9時にテレビに登場する。

激動の幕末に活躍した人で、小泉首相のお陰で有名になった、小林虎三郎とは親戚関係で、同じ家老職に就いていた。

私が河井継之助を知ったのは、昭和38年である。

長岡の人達にとっては、忘れる事が出来ない人物の一人で、非戦論が官軍に受け入れられず、

心ならずも長岡を戦渦に巻き込み、

当時の人はそれが原因で明治初期、塗炭の苦しみを味わう事になった。

その所為か長岡では、河井継之助はあまり好かれていないようだ。

しかし素晴らしい人材であった事は誰もが認める事実であり、

時に利あらずで、理想と現実の狭間に泣かされた人物である。

官軍に対し賊軍とされたが、本来はスイスのような永世中立を望んでいたと言う。

止むに止まれず戦った戊辰戦争においては、1500人の長岡藩士を率いて、

2万人の官軍を迎え撃ち、一旦落城した長岡城を奪回さえした。

しかし負傷して、山越への険しい道を、会津領まで逃げ延びたが力尽きそこで没した。

官軍側は日本の為に惜しい人物を亡くしたと、悔しがったと言う。

長岡市や小千谷市には数々の遺跡が残されており、

小千谷の人達は官軍賊軍の区別無く、戦死者を手厚く葬り現在に至っている。

その墓が中越地震で倒壊し、墓の事が報じられた事から、感謝を込めて官軍側の山口県や鹿児島県、

賊軍側の会津の人達との交流が盛んになっている。

喜ばしい事である。