身の程知らずにも程がある。
今年(2005年)1~2月の大雪は、気象庁の小雪と言う予想に反し大外れであった。
築後13年の我が家は、耐雪2メートルで建造していたため、中越地震にも耐え、13年間本格的な雪下ろしをした事がない。
これが間違いの元、13年間体が鈍りに鈍っていたのに気付いていなかった。
地震後は、軽い地震にも家が反応する。
前はこんな事もなかったと、周りの人と共通認識が一致する。
又、大地震が来たら屋根に積雪が多いと、今度は家が潰される。
それじゃ降ろすかと軽い気持ちで屋根に上がる事にした。
一、二階の間に常設してある雪下ろし用のアルミ梯子に張り付いた氷を叩き割る事から始めた。
雪の量は背丈より高い。
アルミのスコップで、足でバランスを取ったまま梯子上から屋根雪を落とし、屋根に足場をこしらえる。
この時が一番危険が多い。
梯子から転落すれば、大怪我か命を失う。緊張しながらの足場作りである。
雪下ろし用の道具を屋根に上げてから鼻歌交じりに作業を開始した。
スノーダンプを上手く使うと,一回に50坩未漏擇僕遒箸擦襦
5分もしない内に体の異変に気がついた。
あんなに簡単にスイスイとこなしていた雪下ろしに体が付いていかない。
焦れば焦るだけ、疲労が重なり雪下ろしがはかどらない。
雪下ろしを始めて1時間ほど経った時である、流雪溝の配水割り当て時間を知らせてきた。
このままでは間に合わない。退職後の鈍った体に鞭打とうとした時、腰がギクリとした。
やばい。ここで腰が出たら万事休すである。
慎重に体を動かし、残りの雪はその場で屋根に散らし、慎重に足下を確認しながら下に降りた。
痛む腰をかばいかばいの雪流しが、2時間。
体中汗みずくになり、精も根も尽き果てる頃漸く雪流しが終わった。
家に転がり込み、着替えした後腰にハップ剤を張って休んだ。
その日は小康状態だったが、次の朝起きがけにず~~~っきんと激痛が来た。
蜂の一刺しなんかじゃない、鬼から棍棒でぶん殴られたみたいで、そのまま動けなる予感がした。
伝い歩きで階段を下り、排尿した後、炬燵に潜り込んだ後は身動き一つ出来なくなった。
整形外科医に往診をお願いし、腰にブロック注射を受けた。
3日間ほど往診して貰い、後は飲み薬と貼り薬で様子を見る事になったが、
3日間のトイレ通いは、地獄の苦しみであった。
腰が萎えたまま、腕の力で体をづらしながら、トイレまでたどり着くがそこから洋式便器に座る事が出来ない。
便座の脇に台を置きゆっくり腕の力だけで体を起こす。
激痛に脂汗を流しながらの、トイレ通いは二度としたくない。
それもこれも自分の体力を過信した罰であり、13年間の楽の反動が一気に来た物である。
今年の雪下ろしはお金を出しても若い人を頼む事にする。
以上がドンキホーテの雪下ろしの顛末です。