昨夜の源義経から | よかもん人生のブログ

よかもん人生のブログ

長い人生の旅路を書き綴ったブログです

昨夜のNHKテレビ義経で番組の最後に栃尾市(合併後は長岡市栃尾)の義経伝説が紹介されていた。

私も判官贔屓であるためか、40年程前にその遺跡に。行った事がある。

当時は長岡が一望できる、八方台越えでつづら折れの道を栃尾に向かっていった。

番組でも紹介されたが栃尾には二か所の義経伝説が残されている。

羽黒神社の乙和御前と、高徳寺の静御前の墓には歳月の流れが刻み込まれている。

紹介文はこう書いてある。

((小貫の羽黒神社))

源氏伝説
 奥州藤原氏の下で威勢を振るっていた佐藤氏は、医王寺の大鳥城主。その子、継信、忠信兄弟は忠臣として活躍しますが、継信は屋島の合戦で義経に向けて放たれた矢の盾となって戦死。忠信は、兄の頼朝と不仲になって、京都で苦境に陥った義経の身代わりとなり、討死にしました。
合戦で死んだ二人の息子を弔うため仏門に帰依した乙和御前は、妙照尼(みょうしょうに)という尼になります。
夢のお告げにより出羽の国から羽黒大権現を勧請して今日の羽黒神社になったとされています。
境内には見事な双龍の社殿彫刻とそれにまつわる血の池伝説、樹齢300年の大けやきや、当地出身で阪神電鉄初代社長、外山脩造の特大石碑(高さ4.5m)などたくさんの見所があります。


((静御前の墓(高徳寺)))

全国的に「義経」ブームのなか、静御前の墓は各地にたくさん存在しますが、当地にもありますよ。

京の都で舞を舞い、生来から際立った美貌の静は、源氏の若大将源義経の目にとまり、その愛妾となります。その後頼朝に追われた義経を慕い、平泉へと向かいます。
危険な太平洋側の道を避け越後から会津へと向かう途中、長旅の疲れから病を患いました。
従者たちの看護のかいもなく静は若い身空で世を去ります。
従者たちは、小高い丘の中腹に静の遺骸を埋葬し、そのふもとに庵を造って静の霊を守り続けたということです。
この庵が後に「高徳寺」の建立となったそうです。


日本人として、ロマンが思い起こされる遺跡の一つです。

紹介したURLは此方です。

http://www.windsnet.ne.jp/dir15/n15215/osusumedata.html#2005-7-18-16-35-39