「父ちゃんボケたな」・・・「ボケはせん」・・・「いやボケとる」・・・そうかな・・・
この贈り物はこの問答から始まった。
父70歳の古希記念として、子供一同が計画し実行した、日本列島縦断の一ヶ月間の旅の始まりである。
父母は8人の子宝に恵まれながら、歯科医の後を継ぐ子供が無く廃業した。
眼の衰えが理由である。
昭和43年長女の姉が総指揮を執り、この計画を練った。
このころ兄弟姉弟は日本各地に住んでいた。
転勤の成せる配慮であった。
北海道、東京、新潟、静岡、名古屋、福岡、各人が担当を決め、父母を送り届ける。
観光と滞在期間は、それぞれの事情に任す。
静岡の長女の家を皮切りに、方言丸出しの旅の始まりである。
各地で珍道中を続けた旅行記を、父が原稿用紙111枚に書き残している。
古希記念; 勿忘草(わすれな草)と表題がある。
この原本は私の手元にあるが、コピーしたのが兄弟姉妹に渡してある。
この前年の暮れ勤務する会社が倒産し、転職したばかりの私に金も時間もなかったが、
会社に事情を説明したら、快く数日間の休暇を貰えた。
人情の判る会社であった。
母の方言のエピソードがある。長野県の善光寺に観光に行くために乗った、魚沼線の中、
沿線に山菜狩りの看板がある。
それを見て一言。
「やまな、ちゃなんじゃろか?」
山菜のことなのだが、その当時九州では、聞き慣れない言葉である。
母にとっては、見ることなす事に地方色があり、一種のカルチャーショックであったようだ。
数々のエピソードを残し大旅行は終わったが、帰り着くと親戚からの「さかむかえ」で一騒ぎ。
九州の甘木地方では旅行後に旅行の無事を祝って、「逆迎え」をしていた。
新潟では「はっぱきぬき」と、言葉が変わり、旅行者同士が「後祝い」をする習わしがある。
77歳の時に父母作の俳句がある・・・・
1 とそ祝ふ、父き(喜び)の字よと、子らは言い。父作
2 喜寿の春、帰れる子なし、ね正月。父作
3 春の喜寿、喜び送る、梅一枝。母作
4 いつの間に、梅花とともに、喜の字来ぬ。母作
5 いたいたし、古木に一枝、梅香る。父作
6 老梅の、枝折り戸ごしに、二三輪。母作
7 寒風に、ふりかえり見つ、庭の梅。母作
今は亡き父母の思い出の一端である。このブログ文を彼岸の父母へ贈る。