百目鬼恭三郎。風の文庫談義 - 高橋是清自伝 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

Un fil à la patte

 

百目鬼恭三郎『風の文庫談義(1991)文藝春秋』は、文字通り文庫化された東西の作品を選評したもので、幅広い分野を俎上に載せている。「風」とあるのは、辛口書評時代のペンネームで多くの作家を血祭りにあげた。本人すれば「書評はかくあるべし」との核心があったからだが、された方はたまらない。

 

百目鬼恭三郎:風の文庫談義(1991)文藝春秋

 

もっとも『文庫談義』は、記憶に残っている文庫化された作品を取りあげているために書評コラムのような刺激はないが、さすがの見識の広さに圧倒される。たとえば『高橋是清自伝』における是清の半生は「数奇というよりは、ほとんど怪奇と形容すべき」には、まったくだ。つい書庫を漁ってしまう。

 

高橋是清自伝(昭11)千倉書房


ダルマ蔵相と親しまれた蔵相・高橋是清は昭和11年の2・26事件で暗殺された。確か正岡子規や夏目漱石の回顧談に東京大学予備門英語教員時代の是清が登場する。ずいぶん面白い授業をしたらしい。辰野金吾も弟子筋のはず。10代でアメリカに渡り語学を習得(奴隷として売られたこともある)したことで、明治初期のお抱え外国人との通訳を皮切りに、政治中枢の覚えめでたくその履歴は奔馬のごとく荒々しい。

『自伝』でも、通事として勝海舟・氷川邸に赴くところなど、海舟の腹芸が興味深い。まぁ最近の政治家の、あのテータラクに是清は怒り狂うのではないかな。

 

横道に逸れた。『文庫談義』では吉田秀和の『LP300選・一枚のレコード』では、十二音階の使徒、ベルクとヴェーベルンについての吉田秀和の解説は適切でわかりやすいとして「ベルクの強烈な色彩と力強い構図の表現主義的構成主義の芸術家だとすれば、ヴェーベルンは非具象の芸術家だ」を引いている。