佐多芳郎.01。日本画のような挿絵 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

大佛次郎:櫻子(1960)新潮社 見返し:佐多芳郎

 

佐多芳郎(1922-97)は子供のころから身体が弱く、療養中に日本画家北村明道に歴史画の存在を教わり、1940年から安田靫彦に師事し画家としての道を歩み始める。戦後は早くに父をなくしたこともあって、生活の資を得るべく挿絵を描くように。その飛躍の契機になったのが大佛次郎との出会いで、いきなり大佛の新聞小説『四十八番目の男』の挿絵を描くことになったのである。

 

佐多はこの時29歳で、亡父の縁で改造社の(パージにあって逼塞していた)山本実彦が大佛へ仲介してくれた。以来、大佛は佐多の絵と人柄を気に入ったようで『鞍馬天狗』を始め多くの作品で佐多と組む。

 

 

大佛次郎:櫻子(1959-60)朝日新聞

 

上掲は、朝日新聞に連載(1959.6.25-1960.02.24,全239回)された大佛次郎と佐多芳郎コンビによる『櫻子』新聞切抜き。

 

満開の桜の樹の下に忽然と現れた少女は(生後はそのまま部屋に押し込められていた様子で)名もなく言葉も話せずニコニコと笑みを浮かべるばかり。それでいて能書家で男性的で巧みな書を表す。大力乱暴者で〝弁慶〟と呼ばれる足軽ながら、なぜか心惹かれ保護するようになるが、彼女の周りにうごめく者どもが現れ始めます。

 

ついには命を狙われ「桜子は将軍家の血筋ではないか」との噂も聞こえてくる。一方で櫻子は、水を吸収する海綿のように世間を学習していくのだが、殺伐たる戦闘シーンに遭遇するなど、また理解し難いさまざまなことに出逢うことに。

 

時代は室町時代、安田靫彦に師事し歴史画を習った佐多らしく端正に描かれた挿絵は大佛作品にピッタリです。

 

 

大佛次郎:月の人(1963-64)読売新聞

 

『櫻子』から数年後の『月の人』では、挿絵画家としてのタッチを確立しています。ただ、一般大衆小説の挿絵というよりは、日本画・歴史画の延長にある「白描画」といった感じです。この辺りが佐多芳郎の〝らしい〟ところで、大佛次郎が愛した所以ではなかったか。

 

佐多芳郎:白描画冊(1977)光風社書店/限定1000部

 

佐多芳郎の挿絵を蒐めた光風社書店版サイン入り本。題箋に「白描画冊」とあるごとくです。(続く