富永太郎。熱病の後の朝あけに | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

富永太郎の 幾日幾夜

 

富永太郎(1901 - 1925)の詩「無題(幾日幾夜)」は中原中也と知り合う1年前(1922)21歳の作品で、富永は8歳年上の人妻との恋愛問題から二高を中退し上京するが、受験に失敗するやら精神的にも不安定な時期にあった。そうした状態から「熱病の後なる濠端のあさあけを讃ふ」といった再生へ向かっていったのかは定かではないが清冽な気配が感じられる。

 

漢詩の素養があるにしても早熟なもの。ボードレールやランボオの強い影響を受け萩原朔太郎との類似もうかがえるが、北村太郎は「彼の最上の作品の一つ(富永太郎詩集:現代詩文庫)と述べる。

 

図書館を検索したところ富永太郎関連の蔵書は寡く、知人をたより現代詩文庫版の詩集と『大正の詩人画家富永太郎(1988)渋谷区松濤美術館』図録を借り受けた。富永は24歳で夭折。ふりかえって私の24歳の頃といったら単なるアンポンタンだな。今更とは思うが「長生きしたからいい」というものではない。

 

 

幾日幾夜の 熱病の後なる
濠端のあさあけを讃ふ。
 
琥珀の雲 溶けて蒼空に流れ、
覺めやらで水を眺むる柳の一列(ひとつら)あり。
 
もやひたるボートの 赤き三角旗は
密閉せる閨房の扉をあけはなち、
曉の冷氣をよろこび甜むる男の舌なり。
 
朝なれば風は起ちて、雲母(きらら)めく濠の面をわたり、
通學する十三歳の女學生の
白き靴下とスカートのあはひなる
ひかがみの青き血管に接吻す。
 
朝なれば風は起ちて 濕りたる柳の葉末をなぶり、
花を捧げて足速に木橋をよぎる
反身(そうみ)なる若き女の裳を反す。
その白足袋の 快き哄笑を聽きしか。
 
ああ 夥しき欲情は空にあり。
わが肉身(み)は 卵殻の如く 完く且つ脆くして、
陽光はほの朱く 身うちに射し入るなり。