淡島寒月
淡島寒月『梵雲庵雑話(1999)岩波文庫』原著は大正8年の書物展望社版を、久しぶりに拾い読みしていたら、江戸天保年間に「びゃぼん」という玩具が流行った。大きさは二寸(6㎝)くらいで本体は鋳物(の笛で)これにハガネの板がついていて、指で弾くなりすると「びゃぼん、びゃぼん」と鳴るのだそうな。
どんなものなのかな、とネット検索してみたが実物写真は見つからない。なんとか見つけたのは国芳の浮世絵で、煩悩に苛まれた若い娘が手紙をかんで空を見上げる。その右の脇にかかえているのが「びゃぼん」と説明にあった。その浮世絵を拡大してみたのだが、残念ながらはっきりしない。
国芳:妙でんす十六利勘 煩悩損者
淡島寒月(1859 -1926)は家が裕福だったことから一生趣味に生きた人物で、井原西鶴本の蒐集によって西鶴復興のきっかけになったので知られる。玩具蒐集家でもあったが関東大震災で焼失した。『梵雲庵雑話』が文庫で読めるのはなんとも贅沢、これはわが国の文化度を誇れる出版であると密かに思ってみる。
曇天の朝に 長岡市中央図書館 周辺
淡島寒月と知己になったのはもう20年以上も前のことで『梵雲庵雑話』は彼の趣味人ぶりを伝えていて愛読書のひとつ。一生を遊び暮らしたなどというと「いい気なものだ」なのだが「その一生を趣味に費やし而も飽ず」というのは、半端ない。イラスト内に載せたのは寒月の辞世で、まことに寒月らしいというか。
我れと生き我れと死するも我がことよ
その我がまゝの六十八年 淡島寒月 辞世
針の山の景しきも見たし極楽の
蓮のうへにも乗りたくもあり 淡島寒月 辞世
この父を娘木内キヤウは深く敬い、公立小学校初の女性校長となり、第1回参議院議員選挙で参議院議員ともなった傑物であります。キヤウさんは父を敬愛するあまり、すべての遺骨をポリポリと食べたとどこぞに書いてありましたね。知人らによると厳しい校長先生だったようです。