おしん。一人ひとりそれぞれの | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

おしん。昨日の続きを。極貧の家に生まれたおしんは、子どものうちから奉公に出され苦労を重ね幾度も挫折と蹉跌を繰り返しながらも、生来の勤勉さと努力によってついには起業家としてそれなりの成功を納める。また、夫と長男を戦争で亡くすものの陰に日向に支えてくれた(初恋の人)渡瀬恒彦がいる。

 

おしんは現代人が忘れてしまった貧困のなんたるかを問うているにしても、展開は努力が報われる成功譚でもある。かのドラマは自分のためであるとともに家族知人たちのために誠意を尽くして働くことの尊さを伝えるものかもしれないが、現代にあってこれはファンタジーと捉えられたりしないだろうか。

 

 

満月のぼる夕景

 

若い人たちにとっておしんのドラマは悲惨である以前に(努力すれば報われるという)心地よいファンタジーと受け取られても不思議ではない。おしんのように支えたり支えられたりするコミュニティが痩せてしまい、個々の利得に生きる人たちにとっての現代の貧困は別種のものにならざるを得ない。

 

タフに精一杯生き抜いたおしんの人生は光り輝くものであるにしても、現代人はそこからおしんとは別の〝成功譚〟を紡ぎださなければならない。それが、個としての充実なのか共同する社会の再生なのか、あるいは今までと全く違う道を開拓しなければならないのか。一人ひとりのそれぞれの問題になってしまった。