おしん。貧しさをどう描く | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

橋田壽賀子さんを偲んで、代表作のひとつ『おしん(1983)』総集編の放送がありました。一年間の放送を数時間にダイジェストしたもので無理筋な編集は承知の上なのでしょうが、当時の記憶を搔き起しながら(後半からでしたが)観ました。おしんが酒田の米問屋でご隠居さん長岡輝子に商売を仕込まれるあたりで

 

私の記憶は途切れていましたね。観てなかったのかな。わが生家も数反の田んぼしかない山村の農家で、子どもであってもささやかながら労働力だった時代に育ちました。ドラマの時代背景からはすでに隔世の感がありますが、おしんの境遇は理解できないほどではありません。今となってはですが。

 

 

 

観ていると懐かしい俳優さんが登場します。若いころの渡瀬恒彦は、なかなかね。見どころがあると思ったか、おしんに優しい酒田の米問屋のご隠居さんに長岡輝子。女将の小林千登勢は懐かしい。おしんのお姉さん子役は仙道敦子だったか。成人後の千野弘美も美しい。いやはや…

 

世界にはいまだ〝おしん的貧困〟あるなかで、現代の日本は家族一族の貧しさというよりは、ホームレスのような個の貧困というか、破綻というか、社会構造における家族(集団)の貧と個人の貧は内容や質が違ってしまった。現代の貧しさをどう描けばいいのだろうか。

 

ともあれ〝おしん的貧困〟は良くも悪くも家族で支えざるを得ないのだが、現代は支え合う人も仕組みも解体しかかっている。

 

 

さて、休日は小さな土鍋でうどの炊き込みご飯を。生姜ひとかけが隠し味ですかね。白ごま振って。美味しかった。