第六十九銀行
1878年(明治11年)長岡藩大参事・三島億二郎、商人の岸宇吉らによって新潟県長岡町に設立され、初代頭取には関矢孫左衛門が就任した。1898年(明治31年)国立銀行営業満期前特別処分法に基づき私立銀行六十九銀行に改称。その後、吸収合併を繰り返し、長岡六十九銀行(現北越銀行)と改称した(wiki)。
この建物は1916年(大正5年)10月15日、表三ノ町に竣工。総2階建て、鉄骨・石材・煉瓦造りで、当時最も進んでいた英国ルネサンス様式に加えて日本建築の粋を集めた。煉瓦の映える高塔は一躍長岡一の名所となる(長岡市政ライブラリー)。ということで、大正5年以降戦前のものということになる。
雪の第六十九銀行/建替え前の銀行(明治37.08使用)右側
私製はがきが許可されたのは1900年(明治33年)、雑誌「今世少年」の附録としてつけられたと、明治研究の石井研堂「明治事物起源」にある。しかし現物が見つからずながらく幻の絵はがきとしてコレクターに知られていたが、2005年に「二少年がシャボンを吹く図」の使用済みハガキが発見された。
私製はがきの許可によって全国で〝絵はがきブーム〟が巻き起こっている。右縦型の絵ハガキは、どうやら初代の第六十九銀行で、明治37年8月の消印が押されていて極めて珍しいものだと思われる。私は初めて見た。
木造の長生橋
長岡市のランドマークともいえる現在の橋梁は、1937年(昭和12年)に竣工した3代目。橋長850.8 m、幅員7.0 mを有する13径間下路カンチレバー鋼ワーレントラス橋で、多連・上曲弦方式のトラス橋としては日本国内で唯一現存する橋梁である。ややこしい文章だが wiki にそう書かれている。
消印が不鮮明で断定はできないが「冬の長生橋」は昭和3年ころのものらしい。初代の木橋は1914年(大正3年)の洪水によって橋の大半が流失しており、1915年(大正4年)に2代目木橋が架けられた。よって上掲写真はその再架後の写真のようだ。
こうした絵はがきは地元の書店などによって数多く発行されていて、資料として集約されると研究材料に益すると思われる。上掲の絵はがきは、知人の友人の遺品コレクションの一部とのことで紹介させていただいた。