島崎藤村の新生。平野謙と杉野要吉 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

 島崎藤村

 

以前、杉野要吉の「ある批評家の肖像(2003)勉誠出版」に少し触れた。文芸評論家平野謙の戦前・戦後を総括したものだが、その論考の中核に据えられたのが平野謙「島崎藤村論」で、平野がなぜ(戦争末期に)島崎藤村の「新生」論にこだわり展開したのかを執拗に追っている。

 

現在(漱石と対置して)ほどんど読まれることがなくなった(日本近代の文豪)島崎藤村は〈自然文学=純文学〉の基礎をなす作家の一人である。藤村のドストエフスキー的〝罪と罰〟とされる「新生」は、姪との不純異性交友のあげく懐妊させ、あげくすべて頰被りしてフランスに逃避した顛末を描いている。

 

長岡市役所内

 

平野謙「島崎藤村論」によると、藤村の作品「家」に登場する姪と「新生」の姪・島崎こま子は別人であるとし、つまり藤村は2人の姪に手をつけたと述べる。「新生」連載当時、田山花袋は(こうまで自分の恥じを書いたのでは)藤村は自殺するのではないかと危惧したが、芥川龍之介は「或る阿呆の一生」で

 

「〝新生〟の主人公ほど老獪な偽善者は出逢ったことはない」と(ある意味)喝破した通り、藤村は厚顔をさらし続け、人生に耐えきれなくなった芥川のほうが自死してしまった。ともあれ平野謙が、こうした戦時中にそぐわないテーマ「新生論」を、なぜこの時期に執筆したか? これが杉野要吉が提示した新たな謎ということになる。