文章世界の田山花袋 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

 龍土会例会(02.26.1910)文章世界

 

博文館発行「文章世界」は明治39年に発刊され、編集人には田山録彌(花袋)があたった。発行は博文館ながら花袋の強い編集意志が働いたことで、自然主義文学普及の拠点となった雑誌である。言文一致体〝新文範〟や叙述文などを載せている。上掲の口絵写真に雑誌縁故の人たちが多く写り込んでいる。

 

文章世界:表紙と口絵, 予言者ヨハネ(石版印刷)

 

一方「文章世界」は投稿雑誌として多くの作家などを生みだす母体のひとつとなり、中村武羅夫なども発刊以来1年ほど投稿を続け、投稿仲間の文学青年たちと〝誌友会〟を開くと、徳田秋声、大町桂月、柳川春葉、吉江孤雁、小栗風葉、真山青果、詩人の蒲原有明らが出席してくれた(中村武羅夫:明治大正の文学者)などと記録している。

 

橋本邦助の挿絵(表紙も)

 

まだ同人誌が始まる前のことなので、こうした投稿雑誌を通して文学者や文学青年たちがつながったのだが、若者にとってはまことに贅沢な経験だったと思われる。明治生まれの作家の随筆の中によくでてくる雑誌で、以前から手にとってみたいものだと思っていて、ようやく。本号では帰朝した高村光太郎が、フランスの美術界の状況を伝えている。