地方の歓楽街:長岡市殿町(01 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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 長岡市殿町:2006年

新潟県長岡市の駅前をまっすぐ西に数分歩き左折すると「殿町」と呼ばれる、いわゆるスナックなどが密集した繁華街がある。平成13年のころで、組合に登録された洋酒バーが300軒ほどとあるから、昭和40~50年代のピーク時はどれほどの店があったのだろう。かつて給料支給日後の週末など、殿町界隈は酔客でごった返し、肩がぶつかっただのどうかして怒声があちこちから聞こえていたものだ。今にして思えばどれほど飲んだら気が済むのかと不思議な気持ちになる。

社会は高度成長期のただ中にあって、社用接待の名のもとに地方都市にあっても不夜城を現出せしめた。好景気の波は東京オリンピックを終えて、地元新潟県出身の田中角栄が「日本列島改造論(昭和47年)」をぶちあげた頃には、歓楽街の客の半分は建築業の人たちに占められた。「殿町」に本格的にキャバレーが登場したのが昭和40年以降で、キャバレー・ナポリ、富士、朱鷺、銀座、もっともこれらの店に先行したらしい恵比屋?などの話も聞くが、すでに飲み騒ぐことが苦手だった私の知るところではない。

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 長岡市殿町:2009年

それでも昭和50年代半ばころに、一回だけさる富裕社長に連れられてキャバレーにでかけたことがある。事務所の近くのアパートにホステスが住んでいて、そのご主人がキャバレーの楽団でトランペットを吹いていた。そのホステス(らしくない気のいい夫婦)に請われて、店のオーップン時に「同伴」したのだが、「同伴」するとホステスには幾らかのバックがもたらされる。そんなシステムだったようだ。地方のキャバレーはバブル崩壊とともに跡方もなく消え失せ、さるキャバレーの支配人は首を吊って自死したとのニュースが流れていた。

平成の時代に入ってバーやスナックに代わって徐々に増えてきたのは、風俗系の店でフィリッピーナなど「ジャパゆき」さんが顕在化しアジア系の人たちが急速に目立ってきた。そして、長いデフレ経済は現在に至って、地方の歓楽街をすっかり鎮静させてしまったことになる。戦後~昭和いっぱい、歓楽街での飲酒は若者にとって(極めて馬鹿げたことではあったが、大人になるための/会社社会への参加を意味する)割礼initiationのように受取られていたきらいがある。