若松賤子訳「小公子」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
$.-いなごとり
 いなごとり(昔のあそび)

数年前フルート合宿の折りに「いなごの佃煮」の差入れがあった。メンバーのお母さんの手造りということだったが、そのお母さんは私より若いはずだがなぁ。イナゴは捕まえたのだろうか? 田舎育ちながら私にはイナゴ採りをした覚えがない。イナゴはきちんと脚がついていてきれいな姿、ほとんど私ひとりで食べてしまった。

$.-小公子01
$.-小公子02
 小公子 (1936) Little Lord Fauntleroy:F.Bartholomew

バーネット夫人の児童向け小説 "Little Lord Fauntleroy(1886)" 最初の邦訳は若松賤子によって「女学雑誌(明治23:1890年~25年)」に発表された。現在「日本児童文学大系2(ほるぷ出版)」で読める。若松賤子、本名松川かしは元治元年(1864)会津の生れ、戊辰戦争の敗戦によって明治3年6歳の時に横浜の商人に引取られヘボン宅に寄宿(この前年布教目的で来日していた宣教師S.R.ブラウンとともに新潟英語学校に行っていた)米婦人宣教師キダーから英語(&プロテスタントの)教育を受けた。

ブラウン塾は一致神学校を経て明治学院に、教え子の押川方義は(SFの父)春浪の父で再び新潟に来る。ミス・キダー(後のミセス・ミラー)は明治8年山手に新校舎を建て、フェリス・セミナリー(後のフェリス女学院)と名付けた。若松はディケンズやエリオットを愛読したが、自身戊辰敗戦によってみなしご同然ながら、豊かな商人に拾われるという僥倖によって高度な教育を受けることになるという「小公子」のような履歴と、巌本善治(ヴァイオリニスト真理の祖父・女性啓蒙運動家)と結婚受胎のころで、子どもたちのためにとバーネット翻訳を始めたと思われる。

現在国会図書館には同翻訳アニメなどが200点強も収蔵されているそうで、その先鞭を切ったのが彼女である。まさしく語り(読み聞かせ)の文体で、口語文体に四苦八苦していた時代にしてはあまりにこなれた口語訳で驚く。しかも翻訳時は26歳ですからね。翻訳王・森田思軒をして、二葉亭「浮雲」に比肩し得ると言わしめ絶賛された。ただ息の長い児童文学の名作ながら「実は侯爵の子息だった」という設定は、現在の子どもたちの心をとらえることができるかな? 私はうっかり徹夜読みしてしまったのですが。

$.-若松賤子
 若松賤子