北田秋圃訳「小婦人」若草物語 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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若草物語:大久保康雄訳(昭和25年)
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若草物語:中村佐喜子訳(昭和24年)名曲堂出版部

「若草物語」の最初の翻訳は、北田秋圃訳「小婦人(明39)」で、坪内逍遥・饗庭篁村の序文付きで彩雲閣から出版された。これは国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧でき、四姉妹は上から菊枝(メグ)孝代(ジョー)露子(ベス)恵美子(エイミー)と和名に変えられている。『若草物語』は1868(明治元)年にルイーザ・メイ・オルコットによって書かれた自伝的小説で、19世紀後半のアメリカを舞台にピューリタンであるマーチ家の四人姉妹を描く。

明治時代になると、海外では幼児から本を読ませることに驚き、子ども向けの海外作品の翻訳が始まる。「若草物語」なども、当時の少女たちが好んで読んだと思われるのは、その後の新訳抄訳が次々にでるからです。女学校が開設され明治30年代には女学生ブームもあったが、これは女性たちが結婚するまでの“夢みる頃”ともいえる猶予期間で、結婚後は上流クラスでない限り嫁ぎ先の労働力として働き詰めであった。

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北田秋圃訳「小婦人」挿絵も北田秋圃

しかし、こうした翻訳本が知らず少年(特に)少女の意識を大きく変えていったのではないかと思っている。明治末の青鞜運動や、以降の女流作家の登場は、そうした“夢みる頃” に突出した女学生たちが準備したと思われ、特に宗教的な意味での愛・純潔といった今までの日本になかった観念を広めることになった。明治の元勲の多くは芸妓を妻に据えて恥じることがなかったが、明治も終りになると芸妓は(純潔にもとる)醜業として一段低くみられるようになる。

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江戸時代~明治前半までは“処女性”にそれほど重きを置いていなかったのですね。もちろん「論語」などによって倫理的には、姦夫姦婦は切り捨て御免ではあったのですが。明治時代はこうして社会も意識もドラステックに変わっていくのですから、人々は躁状態の中で翻弄されたのでないでしょうか。今回はすべてネット写真を借用しました。まことに…