木村博「信州石工 出羽路旅稼ぎ記」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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昨ブログ続き。石工たちのルーツは築城などにおける城壁の石積みや石橋、江戸時代初期には黒鍬者といわれた技能集団でもあった。いわゆる工兵部隊。二代将軍秀忠の庶子・保科正之が高遠→出羽山形藩に転封の折り、息子を気遣った秀忠が黒鍬者を遣わすように申し送った記録がある。高遠石工と山形の繋がりはこのあたりにもあるのかもしれない。もっとも「信州石工・高遠石工・伊那石工」いわゆる信州高遠藩は地味が痩せ、年貢徴収のために石工たちに国外出稼ぎを奨励していた。

彼等は畿内、四国を除く(この地は石工の産地で進出できなかった)全国に足跡を残している。彼等のほとんどは土着することはなかったそうで、おそらく出稼ぎ先で助手に使った地元民がその技術を習い覚えていったのだろう。もちろん、中にはその地に定着するものもあって、曽根原駿吉郎「太郎兵衛の石仏」における太郎兵衛さんは越後に住まわれた。こちらは未読本ながら図書館に蔵書があるので、ご予約。以上は、木村博「信州石工 出羽路旅稼ぎ記」による。

複数プリンターによる自前のカレンダーだが、ズレ調整などいろいろ問題があって難しい。紙質・紙厚の違いが色味やトラップに齟齬を生む。なかなかね。