広岡敬一「浅草行進曲」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
みずすまし亭通信-6019

“悪役商会”の八名信夫似で、とにかく女に手が早い“早手のコバちゃん”は、最初あって3回目くらいで目的をとげる。「女性はあの人の生き甲斐。かりそめの楽しさを多くの女性に与えてやるの。まるで幸福の配達人」のようと、コバちゃんの奥さんは言う。この奥さん、かつては大手の広告代理店に勤めていたが、コバちゃんに口説かれて結婚し人生はコペルニクス的転換をとげた。コバちゃんはトルコ風呂を経営しているが、勤めているトルコ嬢はいわば商品だから手をださない。

だが、客がつくとそれはそれで嫉妬心も起きようもの。ジットリとした視線で彼女たちを部屋に送り込むことになるのだが、妬かれていると思うと彼女たちは逆にハリキルというのだから、ややこしい。もっぱら浅草は吉原のトルコ風呂を撮影してきたという広岡敬一「浅草行進曲(講談社:1990年初版)」はそんな人物で埋め尽くされている。読んでいるうちにトルコ風呂もソープランドも知らずに「人生を生きたと本当に言えるのか」と思わなくもない。

$みずすまし亭通信-6023

今の時代はともかく、かつてはこうした遊びで男を鍛えた、あるいは鍛えられたと思えた時代があった。キャバレーやバーで、あるたけの金をはたいて飲み倒したりすることで、無駄なこと阿呆なこと、意味がないことに一月分の給与をポンとはたいて、なんとなく大人世界に踏み出す割礼の儀式と見紛えた時代があった。そうでもしないと、男はなかなか男らしくなれないものだから、そんな仕組みができたのではないかと思っている。今はね、逆にやり手女にだまされてお金を巻き上げられたあげく、練炭でヤラれてしまう。

$みずすまし亭通信-6016

私が生まれた年に赤線廃止法案が可決され、2年後に施行された。落語「明鴉」のように、堅い一方の息子を心配した親父が「息子をだまして吉原に連れて行ってくれ」と、町の遊び人に頼んで男にする、なんて噺はなくなってしまった。吉原・赤線など無いにこしたことはないのだが、このままだと国中私のような野暮天ばかりになって、女性のために生きる“早手のコバちゃん”は絶滅し、女性たちに“かりそめの楽しさ”を与えるやからは絶滅する。…やも知れぬ。それで、いいのか? と、女性たちに問うてみたい。