正宗白鳥「自然主義文学盛衰史」と吉井勇「歌集 鸚鵡石」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
true-9789

図書館本、正宗白鳥「自然主義文学盛衰史」がことのほか面白かった。その筋がお好きな人には是非お薦めしたい。大正末から昭和10年頃にかけて書かれた「作家論」と多少内容がかぶるが、戦後23年刊の当本はすでに“語り”になっている。囲炉裏で一人事のように語られる昔話を、じっと火焔を見つめながら聞くでもなく聞くといった感じかな。明治40年から2~3年ほど、田山花袋島崎藤村、秋声秋江泡鳴、白鳥も含めて自然主義文学が流行った。

花袋「蒲団」出版がきっかけとなったが、いわば平凡人による平凡な日常の凡庸な描写であった。輸入したはずの自然主義が日本にもたらされると、自分のことを書き、家族や知人友人の言動を細かに書き込み、なぜか「私小説」的な変態をみせる。今読めば退屈なこれら諸作品はしかし、書かざるを得ない内実を含み当時の時代感や人々の心のうちを濃厚に伝えている。ついには性の懊悩を延々に語るといった凡人の繰り言じみてくるが、嗤うには及ばない。

私たちが延々紡ぐこのブログに至って、ほぼ彼らの行為をなぞっていると言えなくはない。書き手の一面をかいま見せつつ、虚実ないまぜの変態節をもつ膨大な垂れ流しは、けだし自然文学的「私小説」ではないか。違うか? 限りなく現実を切り取っている風に見えながら、にじみでる嘘。その嘘に含まれるらしい真実といった、電子小説ではないのか。明治時代に「個」という意識が確立される過程で、社会や他人、ついには自分までを“懐疑”せざるを得なくなった凡人たち。そして我々はその確実なる嗣子なのでありまする。

みずすまし亭通信-9778

みずすまし亭通信-9787

みずすまし亭通信-9786

A6文庫版サイズの吉井勇「歌集 鸚鵡石」が届いた。割合高額な古本ですが、外箱なく本体も痛み書込みまであるため安価で求めた。吉井の芝居見物から生まれた短歌を集めている。挿画に名越国三郎、田中良、佐藤三重三、わけても水島爾保布が素晴らしいので写真を載せる。

 梅幸の蜘蛛の精よりおそろしき女ありけり向かい桟敷に

 桟敷にも或る夜は花の咲くものか撫子の花月草の花

 仇しごとありなしごとと知りながら舞台の恋も妬みたまふや

 いかにせむ芝翫繋ぎの帯止めにふと覚えたるあさき妬みを

虚構に仮託して詠われる歌は嘘でありましょうや真実でありましょうや。年暮れていよいよ虚無を鎮めて眺むる夕刻の風景でございまする。実に大正7年刊行本でありました。