中年の平和と獅子文六「達磨街七番地」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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今朝は事務所脇に走っている栃尾鉄道跡に造られた遊歩道を歩いてきた。途中、塗装屋さんの家の前にブルーシート上に砂を掃いてあったのが、色味がいいので撮影していたら「何をしているの」と家人に誰何されて、なかなかきれいな色なのでと、しどろもどろに防衛庁の石破長官のような答弁をする。年度末なのであちこちで道路工事である。余った道路予算は消費しなければなりませぬ。多少のデコボコは我慢しますから医療現場にでも振り分けていただけないものか。

消雪の水で鉄さび色になった舗装や、バラバラになったビニール傘だのブルーシート上の砂目といった、どうでもいいようなものを冷えた気持ちで撮影するというのは、案外心地の良いものであります。人生が新しい発見の連続であることをやめ、平凡な日常的な事件の連続になる。いわば、これが中年の平和です。美しい女性とすれ違っても、素晴らしい異性とであっても、彼女等を自分の恋人にしたいという煩悩から解き放たれた自由です。

青年時代無限に膨れ上がっていた欲望は、長年にわたる現実との摩擦によって、外部の現実が許す程度までに折り合いがつき、まぁ欲望と可能性が割合釣り合いがとれたがゆえの平和でありましょうか。こうした平和がほとんど永遠に続きそうに感じられる。中年の私はこんな日常のぬるま湯を楽しんでいる。「ブルーシート上の砂目」はそんな日々の確認のためのマーキングなのかもしれませぬ。ただ、おそらく、いや確実にこの後老年がやってくるのですよ、ご同輩。恫喝めいております。

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時には味の変わったあめ玉でもと獅子文六の戦前の作品をポツポツ拾い読みをしています。明治半ばの生まれで、戦前戦後に活躍したユーモア小説の書き手です。私の祖父や父の世代が親しんだ作家でしょう。「てんやわんや」あたりはTVでやってなかったっけ? 割と豊かな商家の生まれ、若い頃に両親が亡くなったこともあり、その遺産でフランスに留学、といっても演劇ばかり観ていたそうです。現地で仏人と結婚、帰国して作家生活に入るのは30代も半ばです。

青春を遊び暮らしたといっては過言でしょうか。フランスでの暮らしは「達磨街七番地」に描かれた感じなのでしょうか。達磨といのはda'luma(スペル忘れた)地名のようです。獅子文六といい佐々木邦といい、わりと軽い作品の書き手の評価は我国では低いようです。落語で培った駄洒落の文化もありますのに、もう少し読まれてもいいのかも。ただ、当時にあってのオシャレな感じ、モダンという作品世界ですからやはり難しいのかな。写真は与板に保存されていた江戸期のひな人形です。河井継之助記念館に展示中です。