与一のスクール・ジャージ更衣室

 女性の先生が水泳の授業時、日焼け対策に着るスイム・スーツがあるそうです。普通の水着の上に着ることもできるし、スーツのまま、水に入ることもできる、

というものだそうです。

 確かに、水泳を担当する先生にとっては、

炎天下、肌を晒すのは日焼けも気になるところです。

以前、「先生の水着姿」 で触れた、女性の先生も、

水泳の授業の時は、いつも最初はジャージ上下を着ていました。

 当時は、暑くないのかなぁ、とも思っていましたが、

今、思うと、あれは、日焼け対策だったのでしょうね。

その先生は、いつも、ジャージを脱いで水着姿になって

プールに入っていた訳ではなく、

むしろ、終始ジャージを着たままでプールサイドに立って

授業していた時のほうが多かったです。

できるだけ肌は晒したくはないけれど、

必要な時は、いさぎよく水着姿になってプールに入る、という姿勢でした。

そんな貴重だからこそ、水着姿も輝いていたのだと思います。

 ご存知の通り、アメーバブログは、自分のブログへの流入が多かった

検索ワードのランキングが出ます。

 そこで上位にくるのは、まず、「スクール・ジャージ」や「ジャージ・フェチ」と

言った言葉です。これらの言葉が、だいたい、5位以内を占めています。

 ついで、頻繁にあがるのが、「先生の水着」といった語。

 当然、「先生の水着姿 」の記事へのアクセス数も、多いです。

 やはり、皆さん、性に目覚めた頃は、最も身近な存在である女性の先生は、

忘れられない存在なのでしょうね。

 僕自身、この記事は、特に力を入れたものですし、先生のあの思い出は、

今でも強く刻まれていますから、多くのアクセスがあるのは、嬉しいことです。

 いつか、この思い出を元にした小説にも挑戦してみようか、

とも思っている今です。

 バトルというフェチ向けのDVD販売店があります。

名前の通り、女子の格闘技、キャットファイトをテーマとした作品を扱っており、

その種類はエロを前面に押し出したものから、

本格的な格闘技系のものまで種類は豊富です。

ちなみに、系列店として、ブルマーや水着などの

スポーツ・ファッション系のDVDを扱う、「アスリート」という店もあります。


 今回取り上げるのは、バトルの数あるシリーズの中の一つ、

「ロリセラファイト」シリーズの第1巻です。

部活動でプロレスをやっている少女たちが、リングの上で闘うという設定です。

今回の対戦は、星川千恵ちゃんvs豊永恵ちゃん。



 星川千恵ちゃんは、白の半そで夏服のセーラー服に緑色のリボン。

色白でくっきりとした目が可愛らしい女の子です。

対する豊永恵ちゃんは、ふくよかな顔つきの少女で、

冬用の紺色のセーラー服に赤いリボン。他校との試合は今回初めてとのこと。

試合前のインタビューでは、それぞれ対戦相手に、

千恵ちゃん「いっぱい泣かせるから覚悟しておいてね」

恵ちゃん「多分私が勝っちゃうと思うんですけど、よろしくおねがいします」と、

自信満々の様子です。


 第一試合はセーラー服姿の試合。リングコスチュームはセーラー服ですが、

靴はちゃんとリングシューズを履いています。

制服なんか関係なしに、取っ組みあって試合を始めます。

セーラー服の下には、それぞれスクール水着を着ていて、

スカートの下から見えるのがチラリズムとして最高です。

(水着は千恵ちゃんはスカイブルー、恵ちゃんは紺色)

試合は、本格的なプロレスを求めるとがっかりするかもしれませんが、

可愛らしい女子校生のプロレスなら、こういうのもありかな、とも思います。

むしろ、技を掛けられている時の苦しそうな表情や、相手にかけている時の、

勝ち誇ったような言葉や態度が見ものです。

恵ちゃんが「そろそろギブアップしたらどうですか~」と可愛らしい声で

のんびりした口調で言うと、かえって凄みがありまし、

千恵ちゃんの技を掛けている時の表情も、意地悪っぽくていいですね。


 20分以上セーラー服での第一試合を堪能させてくれたあと、

第二試合に入る前に着替えタイムがあります。

こういうのがあるのって、いいですね。

セーラー服を脱いで、スクール水着一枚になる少女たち。

ポーズを決め、「負けないぞ」と気合を入れます。


 第二試合になって、試合はハードになってきます。

「さっきは私、本気だしてなかったのよ」と千恵ちゃんが言うように、

セーラー服での第一試合は、まだ、手合わせと言う感じでしたが、

スクール水着一枚になってしまった彼女たち、何としても勝ちたいと、

志むき出しになってきます。

 水着姿のほうが、やはりプロレス、って感じだし、

技をかけている時は強そうに見え見えるし、

逆にかけられているとより苦しそうに見えます。


制服の下に水着と言う設定は、1巻だけで、2巻以降は、制服の下に下着で、

それから水着に着替えるという形になります。

第1巻は、制服もコスチュームタイプのものではなく、

普通に学校として使われていそうなデザインで、リアリティもあります。




 70年代から80年代初頭にかけて、ビューティ・ペアと同時期の選手です。

ビューティ・ペア自体は、当時はまだ幼くて、ほとんど記憶に残ってはいないのですが、このビクトリア富士見を最初に見たのは、「夜明けの刑事」という、坂上二郎さんが出ていた刑事ドラマの再放送だったのです。

 その一話に、女子プロレスが舞台となった話がありました。実在の女子プロ選手が出演しており、試合の映像もありました。当然、彼女たちは、ワンピース型の水着で闘っていたのですが、その中で一人だけ赤色の水着の上に道着の上着を着た選手がいたのです。一人だけ服を着ており、また、白の道着の胸元から見える水着がチラリズムとなり、強く記憶に残っていました。

 その後、女子プロレスの歴史を振り返るという番組があって、その中で、道着を着て闘っている選手がおりました。そして、そこで、その選手の名前が「ビクトリア富士見」というのを知りました。

 ネットが発達したとはいえ、70年代の女子プロレスの情報となると、圧倒的に限られてきます。それでも、その後、富士見選手の試合映像を一つだけ、見ることができました。期待通り、道着姿でリングに立っていました。ただし、その試合では、富士見選手は、リングアナウンスとともに道着は脱いで、他の選手と同じ水着姿で、激しく闘っていましたが。それでも念願の選手の試合を観られた時は嬉しかったですね。

 ビクトリア富士見選手に限らず、女子プロレスでは和風のコスチュームは割と多い気がします。先日上げた下田美馬選手もそうですが、およそプロレスとは関係のなさそうな着物と水着の組み合わせ、落差というのがいいかもしれませんね。

 ジャージや体操服と同じくらい、特に高校から大学時代にかけてハマっていたのが、女子プロレスでした。レンタルビデオ店にあるのを、片っ端から借りてみていました。一番の目当ては、選手入場から、試合開始までの辺り。選手たちがリングに上がり、着ていた華やかな女の子らしいガウンを脱いで、水着姿になるのが、一番の魅力でした。入場時の衣装を脱ぐと、闘争心むき出しで闘う姿は、例えば競泳でジャージを着てプールサイに立ち、それから水着姿になって競い合う選手たちと相通じるものがありました。ジャージ・ガウンと、試合直前まで肌の露出の少ない衣装でいて、試合開始になると脱ぐ、という共通点があります。

 70年代から80年代は、入場時の衣装も女の子らしく飾り気のないもので、水着はシンプルなワンピース型でした。ビデオで見るようになった90年代からは、水着も特注のタイプになりましたが、それでも、充分に満足できるものでした。

 当時、お気に入りだったのが、下田美馬選手。花魁を元にした和風コスチュームが好きでした。最初に見た時、こんな衣装でどうやって闘うのか、と想像されました。入場時にはポニーテールにしていて、選手紹介の後、ほどく姿が、とても艶やかでした。コスチュームを脱いだ後の、キレのある戦いプリも好きでしたね。


与一のスクール・ジャージ更衣室


与一のスクール・ジャージ更衣室

 以前に、女子校の運動会 という記事を書きましたが、運動会で、競技場へ向かう彼女たち、あるいは運動会を終え、帰っていく彼女たちの姿は、今でも鮮明に覚えています。

 普段見慣れない、他校のジャージ姿の生徒たち、しかも女子が、登校中、次々と自分の横を通って行ったものです。運動会本番では、彼女たたちは開会式から、半袖体操服にブルマ-姿なのですが、競技場に向かっている時は、全員、上下ジャージ姿でした。上着はオープン型で、ファスナーを開いてインナーの体操服が見える女子もいましたが、ファスナーをきっちりと首のところまで締めている女子も、多くいました。上着のジャージは着ず、半袖体操服にジャージのパンツという子は、一人もいませんでしたし、最初からジャージは着ず体操服にブルマーという子もいませんでした。恐らくは、競技場まではジャージ上下を着るように、という学校の指定があったのかもしれません。5月始めの朝は、半袖では肌寒い季節でした。

 ジャージのファスナーを開いている子も、首まで締めている子も、競技場に着くと、次々とジャージを脱いで、半袖ブルマー姿になったのでしょう。ブルマー姿の少女たちの入場行進は、想像するだけでいいものだなぁ、と思います。変な意味ではなく、清楚できりっとしたものではなかったかと、思います。ジャージを脱いで彼女たちは、あふれる若々しさと闘志をむき出しにして、競技に臨んだことでしょう。

 トップを目指し必死でリレーを走る、白の体操服に濃紺のブルマーの姿は、やはり美しいものです。

 競技が終わって帰る彼女たちにもすれ違いました。行く時と同様に、ジャージ姿で帰っていく姿を見かけました。一日、思いっきり体を動かした彼女たちは、朝にはない満足感と達成感がありました。ファースト・フード店で、楽しそうに話している姿も見かけました。

 彼女たちの、競技での姿を見ることはできなかったですが、機会があれば、当時の彼女たチの話を聞ければ、と思っています。今ならば、登下校中の姿を見ていたことも、思い出話として話せる気がします。

 体操服のジャージの上着には、ファスナーには2タイプあります。ファスナーが完全に下までついたオープンタイプと、半チャックタイプ。また、ファスナーがなく、半チャックと同じように、上からかぶって着るタイプもあります。

 ジャージフェチによっては、それぞれ好みがありますが、僕は断然、ファスナーが下まで下せるオープン型が好きです。現役時代がオープン型でなかったため、強い憧れがありました。 

 オープン型のいいところは、襟元のバリエが広がることです。ファスナーを首周りで折ったり、あるいは首元まで覆うように全閉にしたり、さらにその襟をおったりといろいろな着こなしができます。あるいは、ファスナーを半分くらいまで開いて、下の体操服がある程度見えるようにしたり、ファスナーを完全に開いて、上着のように着こなすこともできます。

 一般のジャージは、オープン型しかないのに、学校用のジャージには、半チャックなどの形式があるのは不思議な気がしますが、これはもしかすると、オープン型だと、いろいろな着こなしをして不揃いになるのを嫌うからか、とも思います。

 一度、夏場に、半チャックのジャージを着て車の運転をした時がありますが、ファスナーを半分しか降りず、手軽に温度調整ができず不便に思いました。オープン型だと、脱いだり着たりも手軽です。運動をする場合、すぐに暑くなったり寒くなったりしますので、そういう点でも、オープン型のファスナーが僕は好きですね。

 短パンやブルマーになるのは、年頃の男子にとっても女子にとっても恥ずかしいものです。年中、半袖体操服に短パンでトレーニングに励んでいる僕でも、それはジム内での姿であって、家から体育館までの往復は、夏でもジャージ上下でしっかりガードしています。外へジャージで出るのは気にしないですが、短パン姿で普通に出るのは、とても出来ません。

 陸上競技でもランニングパンツになるのは競技直前からであって、控えでいる時はジャージ上下をしっかり着ていますし、競泳は、プールサイドまでジャージで行ってます。

 

 短パンやブルマーで外に出るのが恥ずかしいのは、何よりも足回りが露わになってしまうからでしょう。そして、短パンやブルマー姿は、普段は隠している、体型がはっきりと表れます。逞しい者は逞しく凛々しく見えますが、ひ弱な子や太い子の短パン・ブルマー姿は、ジャージ以上に不格好に見えます。だから、短パン・ブルマーでいようと思えば、逞しくならなければならない、言いかえればスポーツに集中していくしかないのです。

 それと、日常ではまず、しない服装である、ということもあるでしょう。夏場でも、今時、小学生でも、外では短パンを履くことはありません。フォーマルな場ではフォーマルな服を着ますが、逆に、フォーマルな服を着ることで気持ちが改まるということもあります。それと同じように、スポーツの時に、普段は見せない足回りをさらすというのは、日常とは違うのだという意識を持たせることになります。肌の露出が多い、動くのに機能的な服を着ることで、普段は覆われていた、体力と体力の勝負の競争心を奮い立たすのです。

 ただし、そんな動物的な競争心は競技場の外でも出されては困ります。現代社会は基本的に、肉体的なこと、動物的なことを制御して成り立っていますから。ボクシングやプロレスでは入場時にガウンを着ているのも、闘争心をリングまで押さえておくからなのです。


 ある女子校は、運動会を市営の競技場でしていました。4月から5月始めのまだ肌寒い時でした。女子高生たちは競技場まではジャージ上下で来て、開会式はジャージを脱いで半袖ブルマーになって行進をしていました。開会式にブルマーになることで、いつもはおしとやかにしていた彼女たちが、これから行う運動会は普段の学校での生活とは違うということを意識し、闘争心を呼び起こさせていたことでしょう。また、運動会の後、ジャージを再び着て戻る彼女たちは、どこかすっきりした表情をしていました。


 僕がジムで一番ドキドキするのも、ジャージを脱いで半袖短パンになる時です。それは、ずっと押さえていた競争心が、ジャージを脱いで短パンになることによって、一気に発散されるからです。ジャージから短パン姿になることで、トレーニングにも身が入るのです。恥ずかしいという気持ちとのせめぎあいが、気持ちを奮い立たせます。