分、校長先生が 「何をしてもらってもいいですから、影響が強すぎるので転校
だけはしないで下さい」 と願われて、本当に3年間つまらない授業は一切
聞かず、ずっと自分で勉強していて、それでも中間試験や期末試験は学年で
トップでした。
だから、先生達も一切文句を言いませんでした。
「学校に頼れない分、自分で勉強せねば・・・・」 と毎朝3時に目覚まし時計を
3個の上に金の洗面器をかぶせて飛び起きて、旺文社のラジオの進学講座を
毎朝聴いて勉強していました。心臓には、とても悪かったです。
旺文社の成績もトップの方だったと思います。
又、週に1回進学校の津高校で成績が1番と2番の男子学生と、東京の
大学からみえた岩永先生という、ドイツ語も英語も堪能な人格者のお宅で、
一緒に勉強するのが楽しみでした。
とてもいい刺激になりました。
スポーツも好きで体育の授業はいいリフレッシュだったので、とても熱中し
ました。
足が速かったので、体育会のリレーの時は必ずファースターかアンカーで出て
1位を取りました。
何故か裸足で走る方が早く走れるような気がして、いつも一人裸足で有名
でした。
走り高跳びも、何とか高く飛べないか・・・と隣の男子がベリーロールで飛んで
いるのを見て、私も中学までクラシックバレーをやっていたから足は高く上がる
はずだと、ベリーロールをしてみたらいくらでも高く飛べました。
今でも、あの快感は忘れられません。
体育の先生が 「新体操部を作るから、入部してくれないか?」と言われた時も
「受験志望ですから・・・・」 と にべもなく断りました。
そんな私ですが、友達もキョンキョンというお洒落なアウトローな女の子以外
は何故か他のクラスからの男友達が多くて、孤立はしていませんでした。