「 M 叔母さん、S子ですよ!」 |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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  104歳になられた M叔母さんに思わず駆け寄りました。


「 M 叔母さん、S子ですよビックリマーク


M叔母さんに毎年年賀状で健康状態を気遣って、どうしてみえるか・・・と伺って


も、この20年間同居してみえるはずの義理の娘さんと婿養子さんからは


なしのつぶてで、何も返事をもらえませんでした。


あんなに情の深いM叔母さんで多くの人が慕っているのに、何故か義理の娘


さんと婿養子さんだけは M叔母さんを嫌っていました。


 

だから、私のことを M 叔母さんは実の孫のようにあふれる愛情で、いつも


いつも接してくれました。


とてもとても純粋で人間性豊かな M叔母さんです。



M叔母さんはお茶花や山野草が大好きで、私はお庭のお花で自然な生け花を


習いました。


また、M叔母さんの家には能舞台があったので、月に1回京都から喜多流の


家元が教えにみえたので、叔母さんの勧めで私も結婚までの短い間ですが


謡いとお仕舞いを習っていました。


叔母さんと番頭さん夫婦と一緒に京都の高尾まで ”紅葉狩り” に行ったことも


ありました。



叔母さんが婿養子さんの冷酷な仕打ちに、ショックからメ二エール病になった


時も、骨折した時も 私は泊りがけでお世話をしました。


 

夜は 孤独な叔母さんは子供のようにはしゃいで、庭の椿をいっぱいお風呂


に浮かべて一緒に入ったり、「クッキー焼こうか」 と言い出したり、なかなか


眠ろうとしませんでした。 朝まで昔の苦労話をしていました。


「 私、死なんような気がする 」 といつか言ってました。


   

  M 叔母さんは少し痩せられたけど、目元や顔つきは20年前の面影は


ありました。


手を差し出されたので、1時間ずっと握っていました。


「 S子、S子・・・・・ 」 と叔母さんは何回も繰り返されました。


息子が作った庭のお花のアルバムを一枚一枚見せて差し上げると、


「 あじさい・・・ききょう・・・あさがお・・・綺麗 」 とはっきり仰いました。


「私はお花の先生、小原流。 一緒にお花を活けような」 とも言われました。


 

次男のことを 「あんたの息子?」 と納得されて私の顔を見て 「えらい若い


お母さんやなぁ。 お姉さんや」 と昔のユーモアのある叔母さんになって何回も


驚かれました。


「あんたの住所を書いといて。 返事あげるわ 」 と仰るので、次男が書くと


「東京都渋谷区・・・・」 と正確に読み上げたので驚きました。


東京の人でもなかなか読めない地名もです。


「あんた、ここへ泊って毎日逢いに来て 」 と言われたので、「東京やから遠い


・・・」 と言い出しましたが、耳が遠くなられたので伝わりませんでした。


「明日、また来るから・・・」 と約束して病院をあとにしました。


  

  M叔母さんの20年間の長く寂しいであったろう、養子さん夫婦への気遣い


の日々を思うと、もっと早くに逢いたかった・・・と涙が流れて仕方ありません


でした。