タクシーが、M叔母さんの家の近くを通りかかったので思わず止めてもらい、
息子たちと家を訪ね回り、インターホンを数回鳴らしましたが何の応答もなく、
雨戸も閉められたままでした。
叔母さんとは、血は繋がっていないのに親身に愛してもらい、ことあるごとに
お世話になり、息子達もよく広いお庭や池や能舞台で遊ばせてもらいました。
何故かM叔母さんのことを快く思っていない義理の娘さんとその婿夫婦が、
京都の家を畳んで同居されてから、何度電話や手紙で連絡しても、途中で
切られたりして全く連絡がつかなくなり、所在が全くわからないのです。
生きてみえれば、100歳近いでしょう。
童女のように純粋で心の綺麗な M叔母さんは、いつも 「私は何だか死なない
ような気がする・・・」 と言ってみえたから、私も何かそう信じているのですが・・・
たとえ寝たきりでも、一目逢いたかった・・・・
お茶花や自然の庭を嫌う養子さんが、M叔母さんの切なる願いを無視して
家ごと庭ごと市民病院に売ってしまい、M叔母さんはショックのあまりメニエール
病になったのでした。
その時も (骨折した時もそうしました) 私は泊りがけでお世話をしました。
一緒にお風呂に庭の椿の花を浮かべて入ったり、夜中になると「クッキー焼こか
!」 と喜々とするM叔母さんの相手をするのは、実に楽しいことでした。
夜はいつもお独りでしたから、私が泊まるとそれは子供のようにはしゃいで
みえました。
近くにより狭い家を建ててもらったのですが、養子さんはM叔母さんの好きな
お花を植えることを許さず、バラや胡蝶蘭のみの味気ないお庭にしてしまい、
M叔母さんはすっかり落胆の日々を過ごしてみえました。
私との電話のやり取りで、M叔母さんが85歳位の時に「番頭の嫁に東京へ
連れってもらおうかな・・・あんたとこのお庭の花が見たいわ」と言われましたが
高齢のこと何かあったら大変・・・・と強く勧めなかった為実現しませんでした。
今思えば、あの時思い切って東京の家に来てもらえばよかったと悔やまれ
ます。
たとえ、その後寝たきりになっても、私や息子達はM叔母さんと日々生活して
いくことが楽しいので。 喜んでお世話をしたでしょう。
M叔母さんは、いろいろ苦労した末、マイナス思考をプラス思考に変えた人生
の達人でもありました。
M叔母さんに逢いたい・・・・