タクシーで、コスモスの花が咲き乱れるなか、母のもとに駆けつけました。
母は 「遠いところを来てくれて、うれしいわ」 と素直に喜んでくれ、昔のように
とげとげしいところが無くなり、子供のように純真になっていました。
歳を取ったんだなぁ・・・・と思いました。
一緒に、持っていった ”栗きんとん” とお茶を頂きながら、2時間位いろいろ
話しました。
私達は、主人の仕事の関係で東京から離れられないし、母は母で、本家の
別荘であった今の家へ女学校の時から住み続け、父と養子縁組の結婚をして
からも松阪を一度も離れたことがないので、松阪を離れたくはないのです。
俳句が好きな母は、綺麗な毛筆で
安らげる お薄一服 吾亦紅
という俳句や 紫が好きだった祖母のことを俳句にしていました。
私が「お墓の近くの花屋さんで、りんどうと吾亦紅(われもこう)を見つけたから
お父さんにお供えしといたよ」と伝えると、「有難う。お墓もだいぶ行ってないの」
と満足そうでした。
別れる際、母の細い手を握りしめると、母も握り返してきました。
自然に、主人と息子達も母の手を握りました。
11月の母の誕生日には何を贈ろうかしら・・・・と思いをめぐらしながら
別れを惜しみました。