体調が万全でない私は、いつも家族に守られるように帰省路に着きます。
名古屋乗り換えで、片道4時間の帰省は私にとっては大仕事で、年に1回が
限度なのです。 それも、一昨年が最初でした・・・・
1年ぶりの父のお墓参りは、感慨もひとしおで私は長いことお墓の前に
佇んでいました。 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
皆でお墓の掃除をし終えて、お墓の前の花屋さんで 淡い紫の りんどう と
吾亦紅(われもこう)・ 白い花びらの長い珍しい菊・黄色の初めて見る花・
榊(さかき)を選んだので、父の墓前はすっかり秋らしい装いになりました。
他のお墓が菊ばかりなのに比べて、実に父らしい良い雰囲気になりました。
毎朝早朝、東京の家で父の祭壇に向かってお参りしているのですが、やはり
お墓に来るとグッと胸に迫ってくるものがあります。
1年ぶりの再会です。
父との密度の濃かった様々な想い出に浸りながら、旅の安全と家族の平安を
祈りました。 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
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父が愛用していた文机(ふづくえ)は、しっかり次男が受け継いで愛用して
いますし、父が使っていた文鎮(ぶんちん)も大切にしています。
父のこげ茶のオーストリッチの名刺入れ や 黒竹でできた墨色の霞の柄の
扇子などは、息子が ”形見” として愛用しています。
又、父と息子達が幼い時に一緒に撮った写真を、次男は必ず今回のような
旅先にお守りとして忍ばせて、毎回私を驚かせます。
息子達も、やはりあれだけ愛しく大切にしてくれた父のことをいつまでも
覚えていて、毎日父の祭壇にお参りしています。
**:;;;:**:;;;** 父は、永久に私達の心に生き続けてゆくでしょう。 **:;;;:**:;;;:**
父の突然の死で、社葬を東京・大阪・名古屋のどこでしようか・・・という話が
持ち上がりましたが、やはり父が愛した故郷ですべきであろうということで、
遠方から皆さん来て頂きました。
アメリカの要人は、父が月に2回もこんなに不便な所から上京していたことに
心底驚かれていました。
高齢なのに、父と懇意にして頂いていた奈良の写真家の入江泰吉さんの姿も
ありました。
あとで社員に聞いたところ、父と親しかった和歌山の会社の会長が、高齢
なので皆が止めたにもかかわらず 「社長が亡くなったんや、死んでも行く!」 と
言って、松阪港にヘリポートを作らせヘリコプターで参列されたとか・・・。
父は人間との関わりを大切にしたので、私もそのことを学びました。
また、知的好奇心が旺盛で、向上心のつよい持ち主で、親としても人生の師
としても尊敬できました。
権力に対して無愛想なところ、情にあついところ、は 私も似たのかもしれま
せん。
様々な方を通して、父が信頼され尊敬されている事を娘として誇りに思います。