先ずはTwitterに投稿しようとしていた下書きを改行のみ加えてそのまま貼り付けます。
ツイート特有の削り落とした文章で、読みにくい箇所もありますがご容赦下さいm(__)m
四年前の今日、札幌で送別会を終えて留萌に帰った俺は、友人と昼食に行っていた。
その帰りの車中で地震が起きたが、震度4の揺れには気付かず、友人を送った後、自宅前で携帯にブログ更新通知メールが来ているのを見て初めて地震があったことを知った。
帰宅してテレビを見て事の重大さに気付いた。
上司と電話をしていると巨大な余震。
遠方で起きた地震特有の揺れ方に覚える現実感。
そしてテレビ画面の隅を埋めた日本列島を覆う津波警報。
刻々と推移する状況で緊迫感が否応なしに高まりつつあった時だった。
神の視点から見た巨大な破壊の惨状は、それまであった現実感を全てぶち壊してしまった。
だが、すんでの所で我に還る。
果たさなければならない事があったから。
それから出勤し、丸二日間職場にいた。
様々な事が起こり、濃密な日々がしばらく続いて、気付けば4月になっていた。
それでもとりまく環境にまだまだ変化はなかった。
やがて少し経ってから、自ら被災地に赴く機会が与えられた。
肉眼で初めて観る被災状況。
山脈の如く積み上がった瓦礫と、津波に耐えながらも廃墟と化したビル。
一見無事に見えた住宅地でも、夜になれば街灯以外の灯りがほとんどない。
国道沿いのパチンコ屋だけがただ煌々としている。
何より、街を覆う潮の香りは恐らく一生忘れられない「死の匂い」だった。
(ここまで下書きをして、長すぎるし重すぎる事を感じてブログに置く事を決めました。ここからブログの文章になります。)
今こうして思い出してみて感じるのは、もう四年経つけどまだまだ記憶は色褪せていないこと。
ここには書けない仔細な事も、現地で感じた喜怒哀楽も、ちゃんと覚えてる。
具体的にどうこうするではなく、その経験と記憶は自分の血肉になって生き続けることになるのだと思う。
午後2時46分の黙祷で脳裏に浮かんだのは、あの風景。
そしてテレビ画面の中に見えるのは、瓦礫だけが片付けられた、同じ景色。
復興って、なんなのかな。
この先もずっと見ていかなくてはならないと思う。
あの風景が少しでも変わっていく事を祈りながら。