第21章 狼たち?Dog day? | 音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

昭和の時代の音楽を巡るいろいろな話をしましょう。

 

アル・パチーノの狼たちの午後という映画を観た。おもしろくておもしろくてたまらなく、何度も何度も繰り返し観に行った。同じ映画を5回以上観に行くのは初めての体験だったが、その回ごとにオーディエンスの反応が違うのがまた興味深かった。アル・パチーノが、Attica! Attica!  と叫ぶシーンは何度観ても鳥肌がたったものだ。不思議なことに、Attica が何を意味するのか全然知らないのに、胸が熱くなった。映画の字幕でもパンフレットでも解説無いので最初意味が分からなかったのだ。それがアティカ刑務所に抗議するアジテーションだったと知るのはだいぶ後になってからのことだ。でも、映画の中でソニー(実在する人物がモデル)が、エネルギーを爆発させるそのシーンは、のちに僕自身舞台上でエネルギーを爆発させることへの導火線となってくれた。あと、その頃、映画館の予告編で、なぜかやたらペーパーチェイスを観た。ものすごくわくわくさせられて、めちゃくちゃおもしろい映画だと思わされた。でものちに実際観た時、予告編ほど面白くなかくてショックを受けた。予告編をあまりにも頻繁に見せられすぎて、自分の中で勝手にイメージを膨らませすぎて拍子抜けしてしまったのだった。

ロバート・レッドフォードのコンドルはめちゃくちゃおもしろい映画だった。オープニングのデイブ・グルーシンの音楽もわくわく感満載だった。

とにかくその頃はいろいろなものに大いなる影響を受けまくっていた。テレビで、Bob Dylan の Hard Rain ライブが放映された。野外コンサートで、中東のアラブの帽子というか白いスカーフみたいのをしていて、バックメンバーはみんな笑って演奏してるのに1人だけニコリともせずに宙を睨んで歌っていた。ジョーン・バエズとユニゾンでメロディを歌うのだが、細かいタイミングを合わせる気なんて毛頭なく乱暴に吐き捨てるように歌っていた。ギターの音が歪んでいて、知ってる曲も全く違うアレンジで演奏された。もはや、メロディラインも違って、歌詞を聴いて初めて曲名がわかったくらいだった。とにかく目が釘付けになった。かっこいい!! やられた。完全に参った。同じライブがレコードになっていたのですぐに買いにいった。毎日通学する直前ギリギリまでそれを聴いて景気づけして、遅刻ギリギリに自転車に飛び乗ってぶっ飛ばして登校した。最近でもそうだけど、Dylan はMCなんてしない。客席から歓声が起きても全然反応しない。クールに曲をやる。曲間にひとりの男が、Lay Lady Lay とリクエスト曲を叫んでいたが無論シカトだ。が、何曲かやった後、絶妙なタイミングでイントロも無く、🎵Lay Lady Lay  と歌い出した。あまりのかっこよさに背筋がぞくぞくした。繰り返すが完全にやられてしまったのだ。Bob Dylan 教に入信してしまったかのようだった。

演劇部は2年になると先輩たちが引退し、同学年の2人と新しく入った1年の男子ひとりの3人くらいの部になり存続が危ぶまれるような状態だった。バレエをやっていたもうひとりのやつは、舞台セットを作ったりするのに興味があるようだった。結局、僕が自分で、キャスト2人でもできる脚本を書くようになり、演出、主演を兼ね仕切るようになっていった。劇中の音楽は、Miles Davis の Bitch’s Blew というエレクトリックマイルズの妖しいサウンドトラックを使ったり好き放題していた。やがて、学園祭の直前に細かい理由は忘れたが、もうひとりのやつと人生最大の大ゲンカをして、全てが崩壊してしまった。本当に原因が思い出せないのだが、こっちの無理難題に溜まっていたものが破裂してしまって、それにこっちも完全に感情的になってしまって後に引けなくなってしまったんだと思う。演劇部完全崩壊の瞬間だった。

以降放課後はすぐ帰宅しレコードを聴き本を読むというバラ色の日々が始まった。もっとも貧乏性なので買ってきたレコードはすぐにカセットにダビングして以降はもっぱらそのテープの方を聴いていたのだが。ポップスやロックの素晴らしいアーティストをいっぱい知り本当は自分でもそんな曲を作り歌うことに当然憧れたが、いかんせん自分には歌の才能は無いと思っていた。歌えたらピアノ弾かなくてもいいんだけど、歌えないから楽器、自分の場合はピアノを弾いているのだと思った。