第17章 マイナーは哀しくなる | 音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

昭和の時代の音楽を巡るいろいろな話をしましょう。

 

自分でもびっくりするくらいJazzにのめり込んでいきました。まずその独特のある種のムード、ハーモニー的なものに惹かれました。もちろんリズムの躍動感にも驚愕させられたのですが、最初のうちは、ハーモニーでした。テンション感のあるコードサウンドに郷愁のようなものを感じたのです。なんなんだろう。クラッシックのドミソの和音には何も感じなかったが、ジャズのコードにはたまらない懐かしさを感じたのです。物心がつく前によく都内のホテルに連れて行かれてたので、ラウンジやバーなどでその種のサウンドに自然と接していたのかもしれない。一見そんなに激しい動きの見られないバラードなんかでも、その、時に幽玄な響きに身をゆだねるだけでたまらなく心地良かったです。

そういえば、小さい頃、感受性豊かな頃は、短調、マイナー な曲が嫌いで嫌いでたまらなかった。本当に芯から悲しい気分になってしまうのです。🎶きょーおは、楽しいひなまつり、  どこが楽しいのだ?!   本当にどっと落ち込む音でした。そんな僕にとってはJazzの長調なのか短調なのかわからない曖昧なところが合っていました。でも、田舎の名古屋の中学で当時Jazzを聴いてる人間なんていなかった。時はフォークソングブーム真っ盛りで、みんなアコギでAm とか Em とか弾いていてそれが嫌で嫌でしょうがなかったです。フォークじゃなければ当時はハードロックで、これがまた、スモークオンザウォーター だか、ハイウェイスター だかで、みんなマイナーコードだらけでした。でも長調だったらなんでもいいってわけじゃなくて、小6のころ、ビューティフルサンデー という曲が大ヒットして、お隣さんがレコードを何度も何度も繰り返してかけていて、それを拷問に感じたこともありました。のちにレコード店のスローガンで、No Music No Life っていうのが流行りましたが、中学時代はどんどんどんどんそんな感じになっていった時期だったと思います。音楽が人生の中心になっていきました。中2で、将来音楽家になる人生が見えたのです。

ある日、忘れられない経験をしました。校内を歩いていると音楽室から合唱部の練習が聞こえてきました。雨にぬれても でした。突然、雷に撃たれたかのように感動しました。何で、普通の素人がやってる普通の演奏にこんなにも心を揺さぶられるのだろう? 自分でも心の中がうまく処理できませんでした。やはり曲の力か。バカラックのその曲は紛れもなく違って聴こえました。映画の中でも本当に光り輝くシーンの中で鳴っていました。明日に向かって撃て は名画座で観ましたが、ポール・ニューマンが、キャサリン・ロスの前で自転車に乗るそのシーンは、本当に魔法のようでした。

Jazz に嵌りつつ、また一方で、いわゆる型にはまらない自分の音楽を構築したいという欲求は強かったです。人に似てない自分だけの音、今まで全く聴いたことのない音、そういうものが絶対にあると思っていました。そんなある日、FMのジャズ番組で、Chick Corea の Return To Forever が流れました。エレピの左手がトテーテーテ  トテーテーテ と鳴り右手が聴いたことが無いメロディを奏でた。行ったことの無いどっか異国の地の音、これだ、と思いました。こういう音楽を探していた。永遠に向かって帰る  なんてかっこいいタイトルなんだ! もうこれしか無かった。Chick Corea を追いかけ出しました。ピアノを弾いているアルバムも買ってきました。Now he sings, Now he sobs. とにかく、曲が良かった。美しい曲がいっぱい入っていた。そして、当時新興のECMというレーベルを知りました。ドイツのレーベルで美しいジャケットも印象的でした。いわゆるアメリカのJazzとは一線を画したサウンドで録音も良かったのです。