第12章 15万円のお城 | 音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

昭和の時代の音楽を巡るいろいろな話をしましょう。

 

書き忘れたことをいくつか。僕が小学校に入学する年の3月末に弟が生まれました。なので、入学式には祖母と行きました。なのでみんな祖母が僕の母だと思っていたみたいでのちの授業参観の時に母は僕の友達におばちゃん誰?ときかれててました。

中学の入学式は、弟の小学校入学式とだぶったので、また祖母が来てくれました。3年の時病気で祖父が亡くなりました。でもそのあとも影響力は変わらず続いた気がします。

家族5人が生活するにはうちが狭かったので、5年生の時庭にプレハブハウスを建ててそれが僕の部屋になることとなりました。母屋のすぐ隣に六畳の部屋を15万円で建てました。これはうれしかった。自分の城ができた。水回りは一切無くもちろん風呂もトイレも無いけどそんなことは気にならなかった。その部屋に父のオーディオ設備一切を運びリスニングルームも兼ねることになりました。それはつまり父のオーディオを触り放題だということを意味しました。父が洋書の分厚いカタログをどっかから見つけてきてその中からベッドとデスクを選び注文することになりました。スウェーデンのイケアというメーカーで木目が非常に美しい家具だった。デスクは組み立て式で二つの棚を置いてその上にものすごく長い天板を置くタイプだった。もともとうちの父は舶来好きだった。物は明らかに素晴らしかったがなにぶんべらぼうに高かった。1ドル360円の時代だったし。なのでずっとのちにIKEAがリーズナブルな家具店として人気が出た時、あのイケアとうまく結びつかなかったです。

自分の部屋ができたおかげで好きな時に音楽を聴くことができるようになりました。そして父のオーディオセットはTechnics製で大変に美しかった。VUメーターの動きを見ているだけで飽きなかったし、何より新製品のカセットデッキが良かった。透明な窓の向こうにやや斜めにテープをロードしてそれが回転するのをライティングされた状態で見ることができた。FMをエアチェックしたりしてました。

6年の時児童会会長に立候補しました。選挙演説でみんな書いた文章を棒読みするので、本当につまらないなあと思い、僕はあらかじめ全部暗記していってあたかもその場で思いついたかのように話しました。結構受けて無事当選しました。野球部の仲の良い友達が副会長になりました。当時の児童会会長は、事あるごとに全校生徒の前で話する機会があり、運動会の選手宣誓とかもさせられたので、人前で話す快感をじょじょに覚えていきました。選挙演説を考える時ずっと歩き回って考えたので以後何か考える時は決まってあてどもなく歩くようになります。のちに知ったのですが、歩くと大きな筋肉が動くのでアイデアも湧きやすいみたいですね。白日夢のように思いを巡らせることが多かったので、デパートに行ってエスカレーター5階とかで降りようと思っていたのに気がつくと通り過ぎてしまっていたなんてことがよくありました。