鹿志村茂臣さんの訃報について、すでにご存知の方も多いと思いますが、僕や僕のブログを通じてしかカシピーさんを知らない方も、もしかしたらいらっしゃるかも知れないと思い、あらためてブログを書いています。
カシピーさんこと鹿志村茂臣さんが5月5日未明、永眠されました。54歳。通夜や葬儀は諸事情により行われませんでしたので、火葬の予定についてもごく一部の方にのみしかお知らせされなかったようです。
ごく近いご友人(仲間内では「よくできた妻w」と呼ばれていた)である高野さんがカシピーさんのスマホを預かり、諸々の連絡係など奔走してくださったようです。高野さんお疲れさまでした。
カシピーさんは生前から、仰々しいことを嫌い、無駄に目立つことを避ける人でしたので、高野さんも仰っていましたが「カシピーらしい」選択ではなかったかと僕も思います。
カシピーさんは僕のアルバム「ハッピー・バースデイ」「なくしもの」にブルースハープとして参加いただき、また2005〜2009年くらいまではライブでもほぼ活動を共にしてくださり、数々の素晴らしいプレイを聴かせてくれました。
また当代きってのTHE WHOファンとして、キースムーン追悼コンサートなどで活躍、僕をその追悼コンサートへ誘ってくださったのもカシピーさんです。
僕が20代前半の頃からいろいろ教えてくださり、数々の出会いをもたらしてくださり、僕がダメダメなときにも見捨てず、とことん付き合ってくれて、ときにはキツイ説教もしてくれた、本当の恩人といえる人がカシピーさんでした。
5〜6年前にガンの治療の影響で体調が不安定になってしまい、誘えずじまいでしたが、僕が「恩返し」と称して結成した現ガニバンドでも、本来であればエンリケさんの隣でご機嫌にブルースハープを吹いているはずの人でした。
志木や彦根、羽生でも、カシピーさんの素晴らしい音色を皆さんに聴いて欲しかった。
病床でつけていた日記のようなものを高野さんに見せてもらいました。
昨年の11月にご自宅で倒れ、数日間の昏睡状態から目覚めてからすぐに書きつけ始めたらしいそのノートには、日付と、お見舞いにきてくれた人の名前がビッシリと書かれていました。
僕が最初にその病院に行ったときは昏睡状態から目覚めて2〜3日目で、麻酔の影響から朦朧としていて、はたして僕を認識できているのか?と不安になったものでしたが、そんな状況でも、しっかりと僕の名前と、日付が記してありました。
麻酔のせいでお見舞いにきてくれた人のことを忘れないように、じゃないかなぁ、と高野さんは言ってましたが…
ただ、その記録も1月末までで途切れていました。最後は痛みから自分ではペンを握ることができず、ご家族などに代筆を頼んでいたようです。
カシピーさんは仲間の名前をひとりひとり呼びながら「ありがとう、ありがとう」と言い続けていたそうです。
ああ、誰々を忘れてた、誰々さんありがとう…という調子で。
そういう人なんです。
写真はお骨を拾えたベーシストたち。
左から、junks吉野さん、クレイジーケンバンド洞口さん、エンリケさん、高野さん。
荻窪ベルベットサンにて。
先日の円山夜想さんでは、その二曲、セットリストに入れさせていただきました。僕なりの追悼です。
カシピーさんは僕に「俺とお前が一緒にやるってだけでもう前衛だ」みたいなことを仰ったことがあります。
ブルースハープのセカンドポジションだからスリーコードでセッション、などという定石にはあまり興味がなく、ハマらなそうな楽曲にチャレンジし、ちょっと変わった楽器編成を好み、アンプやマイクを工夫したり、エフェクターを駆使したりして、唯一無二の存在感で世界を強引にでも作り上げてしまう、そういう独特のスタイルを持ったハーピストだったと思います。
その例として、ひとつ動画を紹介します。
サンホラ等で活躍中の河合英史の美しい鍵盤と僕の歌で作り上げた世界を、ソロだけでかっさらっていきますw
この音色を隣でもう聴けないのかと思うと泣けてきます。
カシピーさん、ありがとうございました。